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『テレビ千鳥〜限りなく替えの効かない人たち〜』 テレビかじりつきVol.6

先日放送された『テレビ千鳥』の「ガマンすず」が最高だった。千鳥の2人が、ゲストの広瀬すずへの気持ちを限界まで高めてから会うという内容で、徹頭徹尾くだらないのに目の付けどころが秀逸で、ありそうでない斬新な企画だった。

替えの効かない人なんてどの世界にもそうそういないけれど、千鳥の2人は「限りなく替えの効かない存在」かもしれない。

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番組が始まってから中盤ぐらいまで広瀬すずはまともに姿を見せない。「広瀬すず」の字面やポスター、番宣VTRや打合せで使っていた会議室など、彼女を想起させるモノや場所に触れ、サイコメトラーのごとく逐一興奮しては子どものようにハシャぐ千鳥が愉快でしかなかった。

楽屋から声を聞かせてもらって興奮、片手を出してもらって興奮、廊下でチラッと見切れる姿を見て興奮と、これでもかと出し惜しみされる人気女優に対し、主体的に翻弄されに行く千鳥の2人がとにかく滑稽。笑いが止まらない。

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千鳥だから成立する企画や番組

千鳥の面白さを今さら誰が説明しようと陳腐でしかないのだが、『相席食堂』や『クイズ違和感』、『千鳥のクセがスゴいネタGP』にしても、彼らがMCを務める番組は、彼らでなければ成立しない魅力を誇る。

冠番組だからといってそれは当然のことではない。MCを務めるタレント、冠番組の芸人、必ずしもすべて個性やポテンシャルが最大限に発揮されているわけではない。「その人無しでは」は簡単な領域じゃない。

テーマや方向性として、メインMCがあえて出過ぎず、ゲストを光らせる番組構成があるのも承知。とはいえ案外その人でなければ成立しない番組も、その人だからこそ面白みが倍化されている番組というのも、そう多くはない気がするのだ。

その点、千鳥の番組は千鳥ありきで成立している。番組に占める濃度は他の芸人に比べてかなり高い。テレビ千鳥は実験的な企画や深夜のノリを積極的に持ち込んでふざけてる節も往々にしてあり、千鳥でなければ放送に耐えうるクオリティになったとは思えない回が大半である。

今回の「ガマンすず」も同様。企画も間違いなく素晴らしいのだけど、千鳥じゃなければここまで面白くはなっていない。それほど2人がやってることはすごくて、味付け加減が絶妙だ。

替えの効く世界

一般人の世界は替えの効かない人物などそうそういないとされる。そんな人は一人としていないともいわれる。

むしろ一人欠けたぐらいでまわらなくなる組織なんて、そもそも体制や構造に問題があるし、どんなカリスマ経営者もスーパー営業マンも、名残惜しまれ去ったとしても、ほとんどの会社はその後もなんとかまわっている。

芸能界の仕事はタレント性を売っているため、一般の会社員なんかと比べては替えの効かない存在であることが本来は前提にある。もちろん唯一無二の武器や個性があればあるほどわかりやすく仕事に直結し、重宝もされるだろう。

一方で、類似タレントや似通った芸風の芸人も多く、誰かが不祥事を起こせば必ず誰かが穴埋めをして、時間が経てばそれが馴染む。

ブレイクして引っ張りだこのタレントが、翌年には別の新進気鋭のタレントに取って代わられるなんてケースもよくある光景だ。

限りなく替えの効かない人を目指す

俗世も浮世も椅子取りゲームが常で、とりわけ仕事においては替えの効かない人なんてそうそういないのだとしても、「限りなく替えの効かない」といえる人は確実に存在する。

千鳥も、明石家さんまや松本人志もそうだろう。

一般人の僕らも、日常にあるミニマムな世界の中に過ぎないとしても、限りなく替えの効かない存在になれたなら、確実に生きやすくなる。

だからどうにか手を尽くし、戦略や努力を重ね、替えの効きづらい人を目指す価値はあると思う。それは現代人に切っても切り離せない、自己肯定感や承認欲求にも繋がるからだ。

君も僕も、もともと特別なオンリーワンだけど、それは他のみんなも同じだから、結局はオンリーワンの魅力に磨きをかけなければ、仕事の世界では重宝されないねってお話。


サポートが溜まったらあたらしいテレビ買います