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【Article Of The Day】アパレル店員もSNS発信力の時代

お久しぶりです
自称スーパージェネラリストのライターが、国内外のこれ!と思う記事から今日の1本を紹介するArticle Of The Day!

今日は古巣アパレル業界のネタ。

各国ブランドが日本進出に際して、10-20代の店員さんを募集したところ、900名に上る人が応募してきたのだそう。

その中で選ばれたのはSNSのフォロワーが多かったり、一芸に秀でると言った人達。ブランド展開をする人たちの驚きほど、すでにこのブランドがターゲット層に認められていたのは、本国韓国のSNSでの人気が理由だという。

店頭で店員があえて話しかけないということ自体全体未聞!「話しかけないのも愛」とはすごい。

韓国アパレルといえば、私が20年前に日本のアパレル生産拠点としてお世話になっていた頃から、突出したアイデアとハングリーさで、アジアを飛び越え世界のファッション業界、それもファストファッションの世界で早くから頭角を現していた。

米国でセールスマンをしながら、ファッション業界の様子を取材していた当時を振り返ると、米国ででは、日本人デザイナーや日本のブランドの何倍も、戦略的に成功し、ビジネス的にも、社会的な存在感でも抜きに出ていた。

そうそう、戦略といえば、こんな話しがある。当時、多くの日本ブランドや、日本人デザイナーは、「Made In Japan」や「From Japan」を売りにしていた。私も日本からやってきたブランドのセールスをする際に、「日本」を一押ししていた。

ある時、自分のショールームの隣に韓国のブランドが引っ越してきた。彼らはすでに韓国でそれなりの売上もあり、店も10店舗以上展開するアパレルチェーンさんだったので、韓国系の人の間では十分ブランド認知もあったはずなのだが、米国に進出した当時、彼らはブランド名をガラッと変え、スタッフもローカルのアルバイトの学生をどんどん雇い始めた。

それも金髪白人の若い女の子たちばかり。その子たちが、ショールームの受付に座り、電話の応対をしていた。

マネージャーは韓国語と英語が話せるバイリンガルの韓国系の女性がいたが、彼女は普段ほとんどバックオフィスにいた。さらにUSの社長さんは英語もあまり得意ではない、物静かな韓国人の若い男性だった。彼はもっと表舞台には出てこなかった。

私はアジア人な上、韓国語も少し話せたので、機会があると隣のスタッフ(韓国人)と話したりしていたのだが、本人たちから直接聞いたんだか、共通のセールスマン仲間に聞いたんだか忘れたが、彼らがあえて韓国出身であるブランドということを、できるだけ出さないようにブランド戦略を立てていることを聞きつけて驚いた。ちなみにこのブランドはPlastic Island。もちろん投資もしっかりしていたけれど、LAに来てショールームをオープンしてからあっという間に大きなブースで、お客さんをたくさん抱えるようになっていた。ファッションショーもやってたし。

http://www.momokorea.com/plastic-island.html

(今もあるっぽいです。ただ米国からは撤退したっぽい)


韓国系のファッション業界人は、当時人種差別などのリアルな現状を嘆き悲しむわけでも、断固と戦うわけでもなく、割り切って、しなやかにその状況の中でベストなやり方でファッション業界で成功しようとしてきた。

一方自分も含めて日本人は、日本というブランド力にある意味しがみついた形で、戦略しかり、人選しかりで彼の地に望んでいた今もそうかもしれない。

それはブランド名や社名にも現れる。日本のブランドは、ブランド名にもあえて日本を感じさせるものをつけていた。韓国はその真逆。このPlastic Islandしかり、一世を風靡して、残念上がらChapter11となったForever21も、ブランド名から韓国っぽさは微塵も感じない。あのハイエンドブティック&ブランドのOpening Ceremonyだって、NY発と言っているが、実態は韓国系だ。

でもここ1、2年様子が変わってきたかもしれない。BTSや愛の不時着の世界的ヒットが、韓国のファッションしかり、ブランド名も何もかも「そのまま」で受け入れられる素養がしっかりできてきた。これからどんなふうに変わっていくのだろう。やっぱり韓国のファッション業界動向からは目が離せない!!

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