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【ネタバレ感想】すずめの戸締まり〜新海監督が震災とコロナの先の日本人に伝えたかったもの

新海監督の最新作の『すずめの戸締まり』を観てきた。

ストーリーなどは様々な人が書いているので割愛して、まず率直に近年の社会的な変化に対しての日本人の心境の変化に対し新海監督色々想いが詰められてるなと感じたので、それを雑文ながら色々書いてみようと思う。

コロナがなければこの映画はなかったのでは。
新海監督が2020年にこの企画を考え出したという文章を見て、多分コロナ前に考えてたとしてもコロナ渦中に考えてたとしても、震災を題材にしようと考えたのは恐らくコロナ禍の影響が非常に大きかったのではないかと個人的には思う。
コロナの社会的なストップ現象やその影響で世の中・社会からこぼれ落ちた人を見て、恐らく10年前のあの東日本大震災を再び彷彿させるものが出たのかもしれない。そして何より震災やそれに付随する記憶が思いの外消えてることに自分自身も気付かされた。

「ああ、そういえば10年前の震災もこんな非日常的な感じだったな」コロナ禍で自分が思った言葉だ。

多分地震や震災を映画の一部に入れて描こうとするのは想像以上にスタッフや広告代理店などから反対や否定する意見があったのではないかてと思う。何よりまだ描くには早すぎるのではないかと。
(太平洋戦争でさえ、当事者や経験者が少なくなってきた近年でようやく大手を振って色々描けたり検証などかできるようにってきた。

しかしそれを振り切り、ドル箱の新海映画でリスクを取って描こうとした新海監督が視聴者に伝えたかったものは、恐らく劇中に出てくるキャラクター
「ダイジン」に詰められているのではないかと個人的には感じた。


ダイジンの存在や描写に全ての想いが詰まっている


ダイジンが地震を収めたりする「要石」、神様的な存在というのは劇中を見てもわかる。
流し見で見てしまうとわけわからんキャラで帰結してしまう可能性があるが、ただこのキャラクターに込めた・託した想いは非常に大きいものだったと感じる。

ダイジンが、要石から猫になった最初に登場したシーン自由になれた思いが強く早々にその場を後にする、その後すずめの部屋に来た時、痩せこけて食事を与えた後元気になりすずめが「うちの子になる?」と伝えた後、草太を椅子にしてしまい、すずめに対し非常に好意を持つ。

この序盤のシーン、誰もいなくなり感謝もされなくなった最初の扉の場所でひっそり生きていたダイジンが自分の存在を認めて好いてくれた事に非常に嬉しさを持っていることが描写から読み取れる。
そしてこれは現代の要石になっている人達に対しての感謝と存在の意義を新海監督は伝えたかっのではないかなと思う。

それは普段働いてるが日々犠牲を払って中々表には出ないけれど社会を根本から支えている我々への感謝のメッセージなのかもしれない。

神戸のスナックのシーンで、今日はいつもより大繁
盛ね。みたいなシーンがありましだが、神様が人を呼び寄せる力や、人々の願いや想いを込めた要石があの場にいるからというのを暗示しているのかなと思いました。
その場にいるすでに要石の草太に神様の力が出てきたのか、ダイジンがその能力を持っているのかどちらかだとは思いますが、、、

そしてダイジンが今まで自由などの犠牲を払って要石なってたのに、草太を椅子にした後はすずめに一転無碍に扱われるのも、今の世の中の使い捨て気質を上手く暗示しているのかなと。なので東京の後ろ戸のシーンですずめから完全に関係を遮断されるとまたやつれてしまいます。
要する世の中にある自分の存在を否定されたという描写なのかなと。

しかし終盤の床の世シーンで再びすずめに自分の存在を認めてもらう事で、自分にしかない役割だと認識し再度要石となり役割を果たす。
前文にも書きましたが、新海監督は普段の社会で要石のような人達の存在もいる事、それに感謝する事、それを1番伝えたかったのかなと。
震災やコロナで不安定な社会でもどうにか機能し存続できている裏には生きている我々1人1人が要石で、色々な事を未然に防いでいたりしてくれてたりする。
震災描写をあえて直接的に入れたのはこういう意図を伝えたかったのかなと。

「誰しもが要石、誰しもに感謝。」
そんな思いを映画から感じ取れたような気がします。


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