学校という聚落(村落)

娘の通う小学校での出来事で感じた事をここに☆
これから小学校だけでなく教育の場が大きく変わる、変わらなくてはやっていけない時代がやって来ると感じる。
それでは今回あった出来事をさっそくm(_ _)m
私の住む地域ではよく?(苦笑)騒音の苦情がある。今回は娘の登校班の集まる公園が朝から子供の声がうるさい、走りまわったり遊ばないでほしい、やめないなら登校班の集合場所を変えてほしいと学校に電話があり、子供達が呼び出された。他の旗振りの親や主人に聞いてもそんなに酷くうるさくないし、私も見る限り、常識の範囲内だ。
人の感じ方はそれぞれだからこそ危うい問題だと思う。
子供は朝元気良く学校に行き、よく学び、学校という社会の中で人間関係を学ぶ。
その学校が、たった一本の苦情の電話で子供達を萎縮させ、制限のある夢のない世界に引きずり込み、行動力、発言力、冒険心を奪っている事に気付かず、地域の人(自分にとっての)の騒音はすべて悪だという感覚のおばけ達に怯え従う。
こんな小さな事で?大袈裟なと思うかもしれないが、人間は小さな積み重ねや行動や発言で心や身体が変化してアイデンティティも作られる。だからこそ小さな問題をあなどってはいけないのだ。
そんな事が有って数週間たったある日、主人が私の代わりに登校班の旗振りに行ったら、学校の先生が抜き打ちで娘の登校班の集まる公園にやってきた、、、
ちょっと疲れたのでこの続きはまた今度。

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