学校の英語クラスでなぜ話せるようにならない?帰国子女が思う3つの原因
大人になって、高校の英語の授業で英語を話せるようになりました、っていう人、聞いたことある?
中国人は、大概、英語は学校で学んだ、と言うのだ。
同じアジア人でも違う。
①「スピーキング」という名称ゆえに、スピーキングできていない。
中学校では、わざわざ「スピーキング」というクラスを設けている学校もあるらしいが、それがピント外れ。
「スピーキング」ではない、英語のクラスというのを設けている、という時点で問題がある。
そもそもの話として、英語は
★スピーキング
★リーディング
★スピーキング
★リスニング
の4つを同時進行で学んでナンボ。
どれか一つでも欠けたらダメ。
そして、これらの4つを分けて考える人ほど、上達は遅れる。
②アウトプットしなさすぎ。
よく「外国人周りにいないから」「友だちで英語を話す人がいないから」という言い訳をよく聞く。でも、これもナンセンス。英語なんて、正しいか正しくないか、の前に自分で独り言でもいいし、テレビから流れるくる英語のシャドーイング※でもいい。とにかく、自分の口から英語を発すること。
※シャドーイング=聞こえてきた英語をそのまま真似て話すこと
③英語の発音になると、恥ずかしがり屋が多すぎ。
自分の英語の発音を聞かせるとなると、とたんにシャイになる日本人。
なんで、発音にそこまで固執するんだろう。この疑問は、私が社会人になってから、未だに答えが見いだせていない。
恐らく、教育が原因だ、という答えに今はたどり着いた。
日本には「恥じらい」という文化が特徴的だとよく言われるが、「謙遜さ」「奥ゆかしさ」「顔を潰された」「恥ずかしい」などのコトバのニュアンスの違いを教育したほうが良いと思う。
英語の発音を聞かれて「恥ずかしい」と思うことは、「謙遜さ」でも「奥ゆかしさ」でもない。
だから、英語を「学ぶ」間は、大いに恥ずかしい経験をしたほうが良い。
だけど、そこを分かっていない人が多い。
「英語上手ですね~」と言われて、「いや~それほどでも」というのが、当たり前と思っていない?
海外に行って、「よ~い、ドン」で英語を勉強すると、必ずと言っていいほど、一番英語が話せるようになる日本人はだれか知ってる?
答えは、関西人。
つまり、恥じらいの中にも、学ぼう、話そう、という心意気がいかに大事かを物語っていると思う。
とにかく、恥じらいを捨てて、口からコトバを発する。
これが、英語上達の一番の近道。
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