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中学生のある日の自分

私には、人生の転機が3度ある。一度目は、中1のとき。

父の仕事で、小学校のころからよく海外へ転勤した。転勤といっても、ほとんどは2週間、1ヵ月、といった短期のものだった。シカゴ、上海、バンコク、メルボルン ― 各国に滞在するたび、日本の学校はサボった。すっかりサボりグセがついてしまい、小学校の卒業式では、「こんなに学校をお休みした日が多い子どもは初めてです」と担任の先生にイヤミを言われるほどだった。

卒業後、父の再度の転勤で、カナダのトロントへ。そこで一年滞在した。実は、いろんな国に行きながら、ほとんど英語を勉強していなかった私は、現地の学校で苦労することになる。初日は、「お手洗いに行きたいです」とも言えず、膀胱炎になる寸前で下校のチャイムがなってホッとしたのをいまだに覚えている。

恥ずかしい汗や緊張の汗しかかかない、毎日だった。

だが、まだまだ話せなかった私が、3ヵ月くらいたったころ、母から聞かされた:「昨日寝言で英語しゃべってたよ」

私の英語との格闘が、英語とのチームワーク作業に変わった、瞬間だ。

だが、そのときは、実はまだ英語はカタコトだった。大半が、身振り手振りのジェスチャーか、顔で感情を表現するか。だから、一生懸命自分の言いたいことを伝えようとしていて、「英語を話していた」ように、母には見えていたのかもしれない。

英語は、雰囲気とノリ。芸能人が海外で、全く通じないのに道を聞いて目的地にたどり着く番組があるが、あれはあながちウソではない。所詮、ボディーランゲージやジェスチャーで通じるものなのだ。

先日母が、中国人と、漢字を書きながら、身振り手振りで話した会話が、「姪っ子が子宮筋腫で流産しかけたけど、子どもはちゃんと生めて、その後の手術で死にかけたけど無事成功した」という内容。こちらも相手もほとんど英語は話せないのに、どうやって会話したのかは定かではない。

英語の上達を阻むものNo.1は、「恥ずかしがること」に他ならない。

英語が話せるようになるスピードは、関西人のほうが他地域圏の人より高いのを知っている?理由はもうわかるよね。

ま、このときから、西洋社会に馴染む自分と、日本社会にしっくりこない自分、という二つの性格が、形成され始めたのも確かなのだが。




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