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11/23 土を喰らう十二ヵ月

長らく間が空いた。別に大した意味はなくて、空き時間、転職活動のあれこれをしなくちゃあなと思って、日記とか書いている場合じゃないと喫茶店に入り、職務経歴書とかを準備するためにパソコンを取り出し、職務経歴書を書かずにツイッターを実施しています。
カフェ入るとツイッター、実施するよね。
金狼に感謝する11月23日、何で金狼に感謝するかって、むかしこっそり読んだ週刊ポストか何かに、ヌードが見れる映画として紹か…これは蘇る金狼です。私がこれから語るのは、松田優作ではなく沢田研二。『決めてやる今夜』、という曲を沢田研二ことジュリーが内田裕也に作詞提供しており、それを松田優作はカバーしたことあるらしいです。いやもう全然知らんけど。

1980年代初頭の話です。
あの頃のジュリーはかっこ良かった。ザ・タイガースから、和製デヴィッドボウイのような、グラムロックスタイルとも言える、線が細くて中性的で、流し目で相手を射抜いていた70年代。邦画の名作と名高い太陽を盗んだ男が1979年。輝かしい活躍で、大スターと言って過言ではない。最近の若い人にジュリー知ってるか聞くと、「ああ、爆弾を作ってるのなら見たことあります」と何人かに言われた。音楽より映画の方が残っているらしい。

80年代から徐々に年齢も年齢で、たぶん下火になってはいっているものの、ディスコグラフィを見ると2008年あたりまでほぼ毎年シングルもアルバムも発売している。2008年何かあったかと調べると、還暦のようだ。還暦まで毎年音楽を作っていたとなると、かなり精力的だ。何年か前にコンサートやるやらないで″終わった″人が炎上していたような認識だったが、改めねばなるまい。
それは本作の客層を見ても感じる。何たって満員で、周りはほとんど老人、老人、老人。老人の海。ヘミングウェイはサメに食べ物を食べられてしまうが、本作では沢田研二が山の幸を食べる。
原作は水上勉のエッセイ。山の中で、山の幸を採取し、季節のものをひたすら料理し、食するなかで放たれる思い出語りで、書きぶりには美学があり、教養があるので、人気を博していたようだ。あまり我々の世代では読まれていない印象だが、老人の睦言は案外好きなので、映画を観た後影響されてチラチラと読んでみている。悪くない。
若い頃、丁稚奉公で寺に預けられたツトム(水上勉のことだが、あくまでエッセイを基にしたフィクションのため、明確にはなっていない)が、歳を取り、作家として名を挙げた後、軽井沢のあたりで隠居し、奉公のときに覚えた精進料理を作って、十二ヶ月過ごす。出版社の担当である松たか子がその生活を見つけて、エッセイにするように依頼したことから本作は成立したそう。
映像は老人が飯をひたすら作るのが主。そこに、大友良英の音楽が加わるのだが、誰って「あまちゃん」の作曲家である。しかし驚くべきジャンルは完全にフリー・ジャズ。この人は経歴として、阿部薫に憧れ、高柳昌行に弟子入りしてキャリアをスタートさせた人なので、一番の本職なのである。ここに監督の覚悟が見える。食事の監修は土井善晴だ。季節のものを、まさしくその場の畑で育てて、身繕い、そしてご飯を作ったらしい。プロがプロの仕事をしている。めちゃくちゃ旨そうだし、土と生きて死ぬことに対する憧憬は共感できる。
しかし編集者である松たか子が何ともしゃらくさい。原作には存在しなかった20才くらい下の恋人として、通いつつ、飯を一緒に食べる。最終的にこの女性とは、メロドラマみたいなことを軽くやる。なんだろう。そういう関係性がないとは言わないけど、この映画において、土をただ喰らうことだけでは満ち足りず、どうして松たか子を引っ張り出さなければいけなかったのか。それだけがこの映画における違和になってしまう。安っぽいのだ。メロディもリズムも拒否するフリージャズと、土と季節に合わせざるを得ない人間の儘ならなさを思い知らせる料理。そこに人間のメロドラマが入る。この映画にはもっとストイックであって欲しかった。★4

だいぶモテたろう、という感じはする。
続いて、『あのこと』と『光復』について書きたい。光復がとても良かったから。

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