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とっても極端で、すききらいがはっきりしていて、孫を甘やかし放題だった、大好きな祖父の話

今日は、私の大好きな祖父の話をしたいと思う。


祖父は、2023年1月に他界した(亡くなったという表現を使えないのは『海のはじまり』の影響を多分に受けているからである。ご存じない方はぜひご覧いただきたい名作だ)。

私は、祖父のことが今も昔も変わらず大好きだ(過去形を使わないあたりも、『海のはじまり』の津野くんの影響だ。ご存じ以下略)。

祖父は、とっても極端で、すききらいが激しい人だった。


好きなのは、阪神タイガース。

中継を欠かさずみては、しょっちゅう甲子園に足を運んでいた。その熱狂ぶりは孫の私たちにも大きな影響を与え、小学生の頃私は今岡選手、弟は赤星選手のユニフォームを着て、大声で選手応援歌や六甲おろしを熱唱していた。

なんといっても、祖父のごきげんは阪神の試合結果に大きく左右されるのだ。祖父と物理的に離れている時も、私たちは天気予報を確認するかのように試合結果をチェックしていた。

祖父の阪神応援スタイルには、一つ独特なところがある。阪神が負けそうになると、TVチャンネルを消し、甲子園から足早に立ち去るのである。阪神の強火担なくせに、最後まで見届ける根性がないのだ。

前に祖父と二人で甲子園に行った時もそうで、空いているお土産屋さん(試合中なのだから、見ているお客さんなんて基本いない)を見て帰った記憶がある。そしてそのスタイルはまた、孫に引き継がれており、私は夫と神宮に阪神戦を観に行った際にヤクルトに点数を沢山入れられ、途中で諦め帰宅した。根性のないスタイルが良いのか悪いのか、継承されてしまっている。

阪神タイガースが好きな人の大半がそうだと思うが、祖父もその例外ではなく、敵は読売ジャイアンツだ。

我が家ではオレンジも、読売新聞もタブーなものとして扱われた。母と私はうさぎが好きなくせに、ジャビットのことはやはり「敵」として扱っており、知人のつてでジャビットのぬいぐるみが手に入った際は、即刻友人にお譲りした。
そんな敵、読売ジャイアンツとの試合はやはり一番目が離せず盛り上がるのである。


次に祖父が好きなのが、日本酒である。

ある年末の風景。
日本酒の瓶とおちょこが、ずらりと並ぶ。



私たちが祖父母のお家に行くと、16時頃から祖父はそわそわし始める。晩酌が待ちきれないのだ。

いそいそとおちょこやお皿やお箸を、丁寧にていねいに食卓に並べていく(祖父は几帳面な人だ)。17時ぴったりになると、宴の始まりである。

日本酒のラインナップは、祖父の住んでいた滋賀のものが多い。商店街のある小川酒店という素敵なお店に、祖父は足繁く通い、沢山のお酒をゲットしては、ほくほくしていた。
そして、沢山のおちょこを並べて、飲み比べを楽しむ。皆で話しながら、どれが一番好きか決めるのだ。見事一番好きを勝ち取ったお酒には「優勝」という称号が与えられる。そう、祖父が常に阪神優勝を夢見ていたからこその称号なのである。

一人5個ほどおちょこを用意するから、洗い物が沢山出る。私は下戸なので洗い物を率先して担当していたが、「私居酒屋バイトなん!?」ってくらいおちょこが沢山あって、慄いた。

この祖父の日本酒好きを受け継いだのが、私の夫である。私と付き合う前から行きつけのお店で日本酒を嗜んでいたという夫は、「萩の露」という滋賀の銘酒が一番好きだと私に話した。滋賀県民でもないのに、驚きである。私がよく祖父の話をしていたからか、夫は付き合ってまだ間もない頃に「おじいさまと飲んでみたいな〜」と酔っ払いながら話した。まだそんな関係性でもないと思っていたので、「この人大丈夫か!?」と少し思ったのは否めない。しかし、この夫の望みは結婚後すぐに叶えられる。

段取り上手な母が手配してくれて、祖父母、父母、弟夫婦、私達夫婦という豪華ラインナップでおごと温泉に旅行に行った。旅といっても、温泉に入って、飲んで食べて寝るだけである。お家と同じく祖父が早くからそわそわし始め、夕方から宴の開幕である。驚くことに飲み比べをしてみると、皆のお酒の好みは一緒であった。そして、夫が祖父にお酒を注いでいる姿は感慨深いものがあった。


祖父が他に好きだったのが、家族のためのお買い物である。

特に孫である私と弟のことは甘やかし放題で、なんでも買ってくれた。祖父母のお家の冷凍庫には私たちが来る時のために、常にハーゲンダッツの箱が入っていた。当時はそれが普通だと感覚麻痺していたが、今思うと強い。最強だ。祖父はバリバリ働いてバンバンお金を使う、経済をまわす人だったのだ。私はストロベリー(今はマカダミアナッツが一番だ。益田ミリさん著『僕の姉ちゃん』の姉ちゃんと同じである。クスッと笑えて和む名作、おすすめである)、弟はクッキーアンドクリーム、祖母はバニラが好きだった。

お洋服も、沢山買ってもらった。
幼い頃はファミリアやミキハウス、小学生の頃はポンポネット(大人しいお嬢さん風な感じが大好きだった。水色のダウンも黄色のトレーナーも、物は残っていないが写真に思い出として残っている)、中高生の頃はバーバリー(これは祖父の好みだった気がする。祖父は高級志向なのだ)、大学生の頃はサマンサタバサのバッグをプレゼントしてくれ、友人に羨ましがられた。

大学卒業のお祝いには一緒にフォリフォリに行き、腕時計を買ってもらった。2つだ。
私が2つで悩んでいたら、「両方買えばいいじゃないか」とヒョイと買ってくれたのだ。
心が貴族である。
この時計のうち1つは壊れて手放してしまったが、もう1つはあの時から10年経った今も、大切に使いながら、祖父に思いを馳せている。


祖父が『アンパンマン』の中で推していたキャラクターは、バイキンマンである。
「いつも負けるのに頑張っていて健気じゃないか」と言っていた。ヒーローの敵を推すあたりが、祖父らしいなと思う。
因みに私が就労移行支援事業所で働いていた際に、グループワークで「バイキンマンがアンパンマンに勝つためにはどうすれば良いかをSWOT分析で考える」というテーマを取り扱ったが、めちゃくちゃ盛り上がったのでおすすめである。祖父よ、知恵をありがとう。

まだまだ祖父のことは、書ききれない。
思い出が、あまりにありすぎるのだ。
駅伝と祖父、紅白と祖父のエピソードもあるので、また自由に綴りたい。



大好きなおじいちゃん。

これからも私たちのことを、見守っていてね。

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