セイロンおじさんの承認欲求
(またか…)所属長から相談の電話が入る。先日雇用契約を交わしたばかりの男性パートとのトラブルが度重なっているようだ。
実際の人事権は僕には無いのだが、困った所属長が中間どころとして僕に相談をしてくるのだ。
現場は女性の多い環境で、さほど難しくない軽作業の多い部署だった。どの部署でも女性は比較的上手にやってくれるし、長く勤めているパートさんも多いが、高齢者雇用に関しては男性のほうがマッチングが難しい。現役時代に他社で立派な肩書がついていた人ほど難しい。労働管理システムから業務フローまで、自分たちがかつておこなってきた最善と思われる方法を、容赦なくおしつけてくる人もいる。カスタマーセンターに長電話を繰り返すクレームおじさんと一緒だ。
正直関わりたくはない案件だが、大事に至る前に対応しておかないといけない。僕なんかよりずっと年上で、超絶大企業で部長まで勤めあげたセイロンおじさんを論破するための持ち駒などない。辛い…。
仕方なく現場に赴き、当人と直接話をすることにした。
「…それは、すごく、すごく正論ですよね。」
「そうだろう。ではどう対処していくつもりだ?」
「……、正論の対義語って、なんでしょうね…。暴論…愚論曲論、でしょうか?今の僕らは、意見は、どんなものでも、いくつあってもいいと思っているんです。たどり着くところが目指す場所なら。むしろ、現場が何も言えなくなる環境になってしまうほうが怖いんです。」
「愚論曲論で会社が伸びていかないのは明白だろう。誤った考えは取り除き、業務改善していくに越したことはない。」
「…あなたの正論と、あなたの意見するところに皆が従うかどうかということとは、残念ながら、別問題なんです。」
こうやって、この人のように、失望して職場を去っていく人が少なくないのも事実である。
セイロンおじさんの生きてきた時代は、部下や同僚よりも、会社や上司に気に入られることを”仕事”としてきた。それこそが成功の秘訣だった時代に違いない。だが、失ったものはなかったのだろうか、自らの人生に偽りはなかったのだろうか。
なんだか不憫でならない…。
ある日、地元のスーパーで野菜を陳列しているセイロンおじさんに再会した。驚くほど似合わないピンクのエプロンを着けている。彼は僕に気づくと手を振ってきた。
「こちらにいらしたんですね。少し痩せましたか?」
「朝は早いが体調は悪くない。今日はキャベツが安い。買っていけ。」
「地元野菜ですか。えっと、無農薬…とか?ですか?」
「おう。農薬まみれの旨い地元野菜だ。実際安いかどうか分からないが山ほど買っていけ。」
「なんか…いろいろ矛盾してるじゃないですか。」
そんなセイロンおじさんは現在、店長向けに頼まれてもいない企画書を書いているのだそうだ。Wordの使い方を教えてくれとお願いされたので、嫌ですよと丁重にお断り申し上げた。
僕は目の前にある農薬まみれというキャベツをひとつだけカゴに入れ、それじゃとセイロンおじさんに軽く手を振った。
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