【ふなログ398】反省要素はあっても、自ら羅針盤をぶらす必要はない。
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最近、
心の変化が激しい日々を送っています。
「心の景色の変化が激しい」
という表現も合っていると思います。
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色々と試行錯誤中な中、
予期せぬ出会いとか、
良くも悪くも感情が動くことが多く、
その中でも
「良かったなー!」と
胸を張れることもあれば、
イマイチだな・・・と、
反省してしまうこともあります。
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もう少し「地図」を描いて
計画的に人生を歩むことが出来れば、
それに越したことがないのだけど、
感情が動かない
「地図」を描いたところで、
歩く気持ちなど起こらない。
だから、
まずは歩いて
「何を感じるか?」「何が起こるか?」を
大切にしながら、
感じたこと、
起きたことを振り返りながら、
丁寧に次の一歩を
選んで踏み出していく。
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泥臭いけど、そんな毎日です。
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ここまで書いて思い出したのが、
今から10年くらい前に、
初めて一人単独で
富士登山にチャレンジした時のことです。
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それまでチーム組んで
4年連続で登山し、
うち3回登頂していたので、
だいぶん自信が付いてきていました。
だから、
「一人で登ってやろう」
と思った。
しかも、
一番登頂が困難と言われている
「御殿場口」
という登山口からです。
夕方
登山口に到着した頃には、
あたりが霧で覆われており、
視界不良のまま登山を決行しました。
「御殿場口」は、
他の登山口の五合目よりも
低い位置にあり、
頂上までの道のりも長い。
長く緩やかな
単調な登山道が蛇行するだけだが、
五合目から八号目まで
山小屋、あるいは休憩所が
一切ないのが特徴です。
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視界不良のまま
足を進めていきましたが、
日が落ちてから愕然としました。
ヘッドライトで
前方を照らしているはずが、
濃霧で光が反射して
周りが全く見えないのです。
こうなると、
全く視覚は役に立たないということです。
しかし、
どうすることもできない。
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その時、
帰ることも考えたり、
家族のことを思い返したり、
「もし遭難したらどうするのか?」
などと考えたりしたのですが、
今さら帰ることも出来ない。
自然の厳しさと
己の見立ての甘さを痛感しながらも、
今出来ることだけを
考えることに集中するしか
ありませんでした。
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そうすると、
「足の裏」の感触で道が分かる
ということに気付くようになったのです。
登山道を踏み締めている時と、
登山道から外れた時と、
「足の裏」の感触が
明らかに違うことに気付いたからです。
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もう、その時から
前に進むための羅針盤は、
視界ではなく「足の裏」となりました。
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どのくらい時間が経ったのだろうか。
「足の裏」だけで歩くうちに、
斜め前方に
電灯らしき光が見えてきました。
ここが「八号目」。
時計を見ると
既に7時間は経っていただろうか。
不思議なことに、集中し続けていると
生理現象も忘れてしまうことにも気付いた。
結局、その時点で
暴風雨に見舞われることになったので、
難易度が高い
登山口での単独登山は断念することにし、
山小屋で一泊した翌朝に
下山することにしました。
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・・・ということを
思い出したのですが、
その時は確かに無茶をしたものです。
一歩間違えれば
遭難してしまったかもしれない。
愚かなチャレンジでした。
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しかし、
「一人で何かチャレンジしたい」
という気持ちは、
昔から、
いや子供の頃から
持ち続けていたと思います。
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この富士登山の話でも分かるように、
最後には
「足の裏」の感触だけを頼りに前を進み、
チャレンジには、
その時の現場判断が
要求されるのだと思います。
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その時に足りなかったのは、
事前の調査だとか、
濃霧の中の登山が極めて
危険だということを知らなかったとか、
リスクに対して
何も備えなかったということです。
(この傾向は、その後の人生にも引っ張ることになる・・・汗)
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そんな反省点もありながらも、
その時の自分に
出来ることに集中したことは、
まぁ、
「我ながら頑張ったのかな」とも振り返っています。
(そうしないと危険だったにしても)
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最近の取り組みでも、
「こんなことを言わなければ良かった」
「調子に乗って、知らない間に相手を傷つけてしまった」
「感情に振り回され過ぎ」
という反省点はありましたが、
そこばかり見ないで、
出来たことを振り返ると、
「このまま進んで良いんだ」という自信を
依然として
持ち続けていることに気付きました。
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案外、私という人間は、
厚かましい性格なのかもしれません。
しかし、
マイナス要素もプラス要素も全て、
「学び」であり「材料」であり
「手中の鳥」です。
そのくらいの
気持ちで「全肯定」してしまうのが
ちょうど良いのだと思います。
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羅針盤は変わらず、
進みたい方向を指し続けています。
不安に乗じて
徒(いたずら)に羅針盤を自分からぶらさず、
見えないことでも信じ続けて、
そのまま前に向かって
進んでいくのみです。
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