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【ふなログ177】自分が生きたい人生を生きていなかった時期。

3年くらい前の頃。
メンタル崩して休職する直前、
当時の職場の後輩とやり取りしていた
LINEのトーク(メッセージ)内容を
見てしまいました。

1. 回顧。あるLINEメッセージに目が止まって

両親とのやり取りや
LINE Pay使う以外に、
普段LINEを使うことは
ほとんどないのですが、

いまや人間関係が
切れている人達の
トーク(メッセージ)が
結構残っていて、

「もういいかな」
という人のトークを
断捨離気分で
ポチポチと削除していたら、

ふと、あるトークが
目に止まってしまいました。

過去の職場での人間関係は、
私の不徳というか
「自信のなさ」によって、
ほとんど抹消していたので、
一瞬消そうと思いましたが

つい、読み入って当時のことを
思い出してしまいました。

(同時に少しだけ情緒不安定になりました。
だから、この記事を書いているのかもしれません)

退職して以来、
その人とは全く
やり取りが途絶えてますが、

互いに色々と苦労しながら
難局を乗り越えようと
していた様子が、
トークのやり取りから
伺うことができました。

2. 当時。家庭と仕事を両立できず

当時第二子が産まれたばかりの中、
仕事は毎日23時頃まで続いたり
日によっては休日出勤が入ったりし、

家事と仕事のバランスが崩れて
妻とも喧嘩が続き
仕事でパフォーマンスが思うように出せず、
上司やお客様、
周囲にご迷惑を
お掛けしていました。

職場は少ない人員で
某外資系製薬会社の
複数の案件を兼務しながら、
裁量労働制で
残業代ナシで長時間労働…
で、
人の入れ替わりも多い会社でした。

そこに残された人のみで
ひたすら案件を回し続ける。
顧客のサポートに即時対応。
オフショアの外国人技術者と
時差を跨いで夜遅くに会議。

年末年始も休まず働く。

新人の頃某メガバンク案件で、
鬼のような戦場から生き残った自分で、
その後も色々な戦場から
帰還してきましたが、

その戦場だけは
心を折られて
敗走してしまった汚点でした。
(実はもう一つありましたが、
そこはすぐに復帰できました)

戦争には兵站(へいたん)が必要です。
兵站が絶たれたら
戦いたくても戦えない。
強くなりたくても強くなれない。


この戦場での最大の敗因は、
勿論その場での人員と
戦力不足が挙げられますが、 

キーとなる人員として
期待されていた私について、
家庭で問題を抱えてしまい、
戦場での戦いに
没頭できなかったこと。

「家族からのサポート」は、
家族を養う者にとって
最大の兵站です。


つまり家庭を疎かにしたら
戦いたくても戦えなくなる。

家庭最優先で戦場から撤退するか
戦場に身を投じ続けて
家庭を崩壊させるか。

本当は両者をORの発想で
どちらかを選ぶか?ではなく、

両者をANDの発想で
どうやったら両方確保できるか?と
真剣に考える必要があるのですが、

日々、時間と体力が削られていく中で
それを考えるための認知能力も
同時に削られて
ORの発想に転落する。

そして結局私は
ORの発想に転落するどころか
敗走して退職することになったのでした。

3. 不義理の末退職。

後輩とのやり取りは、
「この機会にめちゃくちゃ休んで下さい」
というメッセージを
受けて締め括られており、
休むどころか挨拶すらせずに
退職していたという。

休職一ヶ月を超えると
「自然退職」という処置により、
現場の社員に挨拶すらせず
その会社を去ったのでした。

お粗末ながら
短いご縁でしかも
不義理で終わったご縁で
私の中の黒歴史
の一つかもしれません。

しかし、
当時の後輩には今でも感謝しています。
(勿論、他の方々にもです)

LINE読んでいて記憶が蘇るとともに、
申し訳ない気持ちも入り混じって
複雑な気分になりました。

4.貧すれば窮す。悪循環になるメカニズム

しかもです。
敗走する前、途中で医師の勧めで
何度か短い休職を繰り返して
その間収入に不安を覚えて
安易な副業や投資(投機)
色々と手を出しては失敗を繰り返し、
まさに
八方塞がりの状況でした。

まさに、
追い詰められての
「戦力の逐次投入」
という、一番やってはならない
敗戦パターン
です。

今の戦力で埒があかなければ、
助けを求めるか撤退すれば良かった。
最善策は上司と相談すべきだった。
しかし
当時の雰囲気として躊躇してしまった。

いや、
当時子育てが
大変な時期だったので
安易な撤退ができず、
「自分が働けなくなったら終わりじゃないか」
で出撃するしかない
という。

相当追い込まれていたと思います。

追い込まれると人間、
出せる知恵も出せず、
相談した方がいいのに独りで抱え込み、

「この世の終わり」とばかり
人生詰んだとまで思い詰める。

最悪、自尊心が破壊されて
学習性無気力の状態となるか
自分の存在を消したくなったりする。

判断力が鈍ると
起死回生の手段に頼り、
ますます窮地に陥る。。

ここまで来ると
物事の捉え方が根本的に変わったり、
一時撤退して深呼吸して
改めて戦局を俯瞰しない限り、
おそらく
打開策は生まれてこないでしょう。

逆にそこができるようになれば、
打開策は生まれてくるかもしれません。

具体的には、
別の捉え方や世界観を持ち、
客観視してくれる人と出会えるのが
一番かもしれません。

実際、その後の私は
一年後にそれで
持ち直すことができました。

5. 自分を責めてもしょうがない。

LINEを読み直すと

「力不足で申し訳ない」
とか
「きっと自分のせいで
現場が大変なことになっている、
と周りは皆思っている」

という言葉が、
終わりの方に集まっている
ことに気付きました。

今読むと
結構居た堪れないなぁ…

まさか当時自分が
鬱になるとはね。

それまでは何度も
「鬱になりそうでならないよね」
とか
「ゴキブリのようにしぶといよね」(ヒドイ…笑)
などと
結構言われることが
多かったのですが(笑)

人間折れる時は
簡単に折れるかもしれません。

しかし
「まさか自分が」となる前に
予兆やサインに気付いて対処できるよう、

今の自分に出来ることと出来ないこと
を日頃から区別する基準を持ったり
相談できる人を確保したり
必要あれば撤退する勇気と行動力を
持ち合わせていきたい
と思います。
(しかしこれが結構難しいから困るんですけどね)

6.自分に合った場所を選ぶ。それが生きたい人生を生きるということ

ここまで書いてきて
思ったのは、
当時感情を殺して
働き続けてきたのが
原因だったのだと思います。

他人が作ったルールの中で
無理して働いて
脱落しないようにガマンし続けて
自分が生きたい人生を
生きていなかった
んですね。

親のコネで入った会社から
逃げるようにして転がり込んだ
会社で最初は活躍するも、
共働きで子育てするライフスタイルに
合わなくなり、
それでも無理に働いてきたツケでした。

「自分が生きたい人生を生きる。」
これは皆思う事ですが、
「生きたい人生って何だろう??」
と真剣に考えてみると、

真剣に向き合って
答えを出せている人は
果たしてどれくらい居るのだろう?

忙しさで見失っていないだろうか?
自分に合っていない場所で
無理に戦っていないだろうか?
自分に使いこなせない武器を
無理に振り回そうとしていないか?

ここで働きたい
ここで役に立ちたい
ここで目の前の人に喜んで頂きたい

それを実現できる場所を
「絵空事」として
諦めていないだろうか?

「現実」とか「世間」という
言葉で自分の欲求を
安易に誤魔化していないだろうか?

「食べるだけで精一杯」
かもしれない。
しかし、
そこから何とかできないだろうか?
工夫できないだろうか?

シビアな自問自答が
続くかもしれないし、
本当に追い詰められている時は
自問自答すら
できないかもしれない。

しかし、
生きたい人生を
生きるのか生きないのか
は、すべて自分が
責任を負わねばならない
んです。

だから、
常に自分が主導権を持って
オールを持って航海していく。

自分が輝ける場所を探す。
自分を見出してくださる人を探す。
そのための力を磨き続ける。
ご縁を求め続ける。

そして
所を得ていく。
一隅を照らしていく。

そこを踏まえ、
色々な感情がせめぎ合う中、
今の自分は
様々なご縁に恵まれてきていて、
「それでも進んでいく」
という決意しかないのです。

7.(まとめ)自分の人生を取り戻すために、感情を取り戻して言葉にする

今日は、
お客様のご都合で
夜入れてた仕事がキャンセルとなったため、
ついLINEに見入って
こんなことを書いてしまいました。

…どうやら最近の私も
忙殺されていて、
こういった感情を
押し殺していたのかもしれません。

危ない危ない。。
いったん忘れていた感情を
手元に取り戻して
ここで「当事者意識」
を蘇らせてみました。

生きたい人生を生きるため、
また歩き続けていけるように。

こうして感情が乱れた時、
いったんこのように文章として
言葉に残すと、
気持ちを統率することができますね。


(長文になりましたので、
ここまで読んでくださった方、
皆感謝です!)

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