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【ふなログ539】敬老の日に、一人の人間として向き合うことを考えてみた。


日曜日は久々に実家に帰省。
敬老の日に帰省をする予定でしたが、
台風で悪天候になることを考えて、前日にしました。


急に予定を決めたので、
「手ぶら」での帰省となりましたが、、

屈託のない笑顔と
天真爛漫な孫たちとの触れ合いを通して、
申し訳ないながらも、
ささやかな親孝行になっていれば、、
と願っています。


親孝行どころか、
迷惑ばかりかけてきた自分。

いまは元気ですが、
老いた親と会える時間も、
そう長くもないのかもしれない。

自分に何ができるのか?
「ラクさせてあげたい」と言いながらも
自分達のことばかりで精一杯。

本当の意味で自立が叶っていない自分が
腹立たしく感じる。


思えば、
色々と過ちこそ犯した時はありましたが、
私の姿勢の根本には、
「親との関係性」があってこそだと思います。

色々と叱られたり
言い争ったこともあったものの、

大切に見守ってくれている
両親の存在を思い浮かべると、
「道を踏み外さずに真っ直ぐに生きるように」と、
軌道修正せざるを得なくなります。


なかなか気付きませんでしたが、
これを思うと、
私は「両親の背中を見て育ってきた」のだと
痛感せざるを得ません。

「いい子ぶる」つもりもなく、
そうなのだと思います。

私も、
子供達が真っ直ぐに生きるように、
日々模範を示さないとならず、
襟を正して生きていくのみです。


親から子へ。
子から孫へ。

生き方は引き継がれる。


ただし、
親であっても1人の人間だから、
正しいことばかりとは限らない。
子の方が正しいこともある。

親の姿を見て、
子供がむしろ正しく在ろうとすることもある。


難しいとしても、
親子の関係というのは、
どこかで「向き合う時」がある
ような気がします。

私も何度も向き合う機会があり、
衝突やすれ違いを、
むしろ大人になってから繰り返したものです。


子供の時に向き合えなかったことを、
向き合うようになってから、
親子との関係に違和感を感じた時があり、
抑えていた感情をぶつけたこともありました。


しかし、
それで良かったのだと。
1人の人間として
「親子」という枠組みを超えて向き合った。

「親だから〜」「子だから〜」
という世間的な基準や倫理道徳的な基準を
一度取っ払って、
向き合う時が必ず来るのかもしれません。


1人の人間として
どう感じるのか?どう思うのか?


人と人との関係だから、
共感することも衝突することは、
親子の関係であっても起こり得ます。


自分の子供達に対しても、
子供達が私に対しても、
そのような時がきっと訪れるはず。

その時は、逃げずに対峙できるように、
自分の生き方を正しながら
模範を示していく必要があります。


私も完璧な人間ではないからこそ、
間違っているところは真摯に受け止め、
当たり前のことを日々積み重ねて、
自分の人生を生きていくしかありません。

その延長線上に、
お仕事や商売での姿勢に繋がり、
人と人との信頼関係を築き、
豊かになる道が繋がってくるからです。


昨日の「変態さんいらっしゃい」の
内容とは一変して、
ちょっと厳かな内容になりましたが、

敬老の日に、
親と子の関係に想いを巡らせてみました。


親子だけでなく、
ご縁のある人達に感謝。
これからもよろしくお願い申し上げます。


それでは、
今日も素敵な1日をお過ごしください。

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