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【ふなログ449】自分以上に「真摯に自分に向き合ってくれる存在」の大切さに気付き、痛みと感謝の気持ちを知る。


自分にとって
「大切な存在」というのは、
人と関わるからこそ気付きます。


ここ最近、
色々な方々と関わらせて頂く機会に恵まれ、
公私ともに充実した日々を
過ごさせて頂いていました。

多くのことに気付かせて頂いた反面で、
今日、自分のど真ん中で
大切なことが抜けていたことを
指摘してくださった方がいらっしゃいました。


あまりにもど真ん中過ぎて、
思わず手に持った物を落としてしまったりとか、

身に付けようとしていた物を
うっかり
リュックに入れていたことに気付いたとか、
かなり動揺していたと思います(汗)

知らないところで人を傷付けている自分。
改めてポンコツですわ…

それなりに
自分と向き合ってきたつもりでしたが、
それでも
向き合えていない部分があり、
なかなか心の整理が付きませんでした。


ただし、
こういうことを
自分で見えていたつもりであっても、
見えている人から見ると、
見えていなかったことが分かる。

そんなことがあります。

ひどい時には、
「ありがとう」と「ごめんなさい」が入り混じるような
奇妙な気持ちに襲われることもあり、
今日はそのような気持ちにもなりました。

しかし、このように
言いづらいことを言ってくれる人の存在ほど
有難いものはないのです。


先週、コンサルティングのお仕事を通して、
「あなたの『壁打ち相手』になってみせます」
プロジェクトを
期間限定でさせて頂きましたが、

そんな自分でも
自分自身が見えていなかったり、
向き合うべき人の気持ちが見えていなかったり、

これもまた「修行」なんだなと
痛感するばかりです。

しかしこれがまた、
とても有難いのです。


そうでないことも勿論ありますが、
言いづらいことを言ってくれる人としても、
「それなりに向き合っているからこそ」
言ってくださるのです。


そのことに後から気づいた私は、
それこそ
「ありがとう」と「ごめんなさい」が
入り混じる不思議な気持ちになり、
同時に「温かい」気持ちにもなりました。

「痛み」と「感謝」の
気持ちに気付く瞬間です。


真摯に向き合うこと。

自分がどれだけできているのだろうか?

ただ一つだけ言えるのは、
「人と関わるから」こそ、
真摯であるかどうか?
が見えてくるのでは
ないでしょうか?


自分以上に自分のことを
見てくれている人が居るとしたら、
とても幸せなことです。

同じことを、
自分がその人に
出来るようになれるといいなと。


まだまだ「修行中」の身ですが、
「真摯に向き合うこと」には終わりがないと思い、

それは仕事では勿論、人間関係として、
家族関係、夫婦関係、恋愛関係、友人関係

すべてに言えるのかもしれません。


自分のことは
一番自分が見えているつもりでも、
案外、他人の方が見えていることがある。
特に真摯に向き合ってくれる人からは。

そんな真摯な「視点」提供を、
今私が携わっているお仕事に加えていき、
お世話になっている方々にも出来たら・・と
今日は反省しているところです。


反省しても
し過ぎることではないのかもしれませんが、
真摯に「相手の立場」に立つという難しさ。

しかし、
これを乗り越えていくからこそ、
人生は豊かになっていくものだ
と確信しています。


なんだか今日は
堅い雰囲気になってしまいましたが、

もしも、
自分に対して真摯に
向き合ってくれている人が居たら、
その人を大切にし、

そして、
自分も同じように
真摯に向き合うように出来たら、
きっと楽しい人生に
彩っていけるのではないか?
と。


人は独りでは生きていけませんし、
だからこそ、
人の中で磨き続けることができます。

「向き合うことの大切さ」を
今日は大きく学ぶことができた日でした。

6月も後半戦に入りました。
ここから、
新しいお仕事を立ち上げる活動に入ります。

では、今日も
素敵な一日をお過ごしください。

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