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「処刑されなかったマリー・アントワネット」〜第2章 貴重な余暇は本の中で過ごす〜

 月曜日は、そろばんと新体操の日、火曜日は、水泳と塾の日、水曜日は、個人塾を2講義、それから、、、もちろん、何もない日はない。土曜日は、午前中が学校、その後に英会話、その後は、塾に4時間、夏休み、冬休み、春休みは、毎日、夏期講習や、補習、そしていつもの習い事。

 怖かった。とても怖かった。学校や、習い事で怒られるのが。小学校は、まだ良かった。小学生の時はある程度私は活発で、人気者だった。それに、図書委員をするのが大好きだった。図書室に居られるから。低学年用、中学年用、高学年用の3つの図書室がうちの学校にはあった。親に買ってもらって、初めて出会った、イギリスのファンタジー小説。それを読んだことによって、私の人生は変わった。8歳か、9歳の頃だっただろうか。読み始めた瞬間、その本に食らいつくかのように、がっしりと重い書籍を手に持ち、私は現実から切り離された。家のソファで、気付けば3時間ずっと本を読み続けていた。その3時間は、今までに味わったことのないスリルと、幸せに満ちていた。あまりにもその時間が私にとって強烈だったため、しばらく余韻が残り、ぼーっとしてしまった。本にしがみついていたその時間、私は現実世界の学校、習い事、課題、先生に怒られる恐怖を忘れていた。楽しい、、、。今までこんなに強烈に楽しい体験をした事があっただろうか。その日から、私はごくわずかしかない、自分の自由時間をほとんど全て読書に費やした。

 読書という趣味は、当時の私の生活スタイルにも合っていた。とにかく忙しく、友人と遊ぶ時間がなかった私は、夜寝る前や、朝5時に起きて、本を読んだ。遊ぶことが出来なかった唯一の私の楽しみは読書になった。朝、早く起きて小説を読んでから学校に行った日は、午前中の授業の間は、その日の朝の本の内容に夢心地になり、余韻に浸っていた。

 私も、忙しい日々に全く抵抗しなかったわけではない。突如、今から習い事に行く、となった時、とんでもない憂鬱な気分に襲われ、泣きじゃくったことがある。そうなると、母と大喧嘩をし、無理矢理行かされるか、母が根負けして、習い事の先生に、今日はお休みします、と電話をかけた。休めることになった瞬間、私は憂鬱な気分から解放されたが、母は不満そうに、「どれだけ暴れたら気が済むのよ、これで満足?休みよ?」と言われた。この頃から、私は少しずつ、おかしくなり始めていた。あまりにもプレッシャーに満ちた生活に疲労困憊して、小学生ながら、初めて死にたいと思った。私の異常な思考回路は、頭の中だけにとどまらず、次第に行動までおかしなところが出てきた。

 ある日、朝の学校で、私の仲の良かった女の子が先生に注意されていた。私は純粋に彼女が心配でその様子をじっと見ていた。よく聞くと、彼女は宿題をやってくる範囲を間違えていたらしい。やり直しなさい、と先生に厳しく言われていた。私はその光景がトラウマになってしまった。別に、自分が注意されたわけではないし、先生は厳しい言い方をしてたが、怒鳴ってはいなかった。でも、私にとってその一部始終はぞっとするものだった。私は、今まで彼女のように、宿題の範囲を間違えたことはない。でも、私の学校の宿題は非常に多く、時間のかかるものだったので、せっかく頑張ってやって行ったのに、最初からやり直し、というのはあまりにも厳しいと感じた。特に、習い事と学校をスケジュールきつきつに詰め込んだ私の日常では、そんな事があっては大変困る。死活問題だ。ページ数や、練習する漢字を間違えれば、一からやり直し。そんな事をする時間は私にはない。他の習い事の課題に差し支えるし、学校の宿題は毎日あるのだから、急にそんなことを言われると、私はパニックで泣き出してしまうだろう。

 その光景を見て以来、私は執拗に宿題の範囲が間違っていないか、確認した。宿題に取り掛かるまでに、15回、30回、ページ数や範囲を何度も確認し、確認するだけで30分はかかるようになっていった。ただでさえ、課題の量は多いのに、確認にまで時間がかかるのは私をますますストレスで追い込んでいった。とにかく、私は真面目すぎた。宿題をやらなかったり、学校を休んだり、習い事を辞めたいと言えばよかった。けれど、私は目の前の山積みの課題をこなしていくことに必死で、それをさぼるとか、やめるとかいう選択肢は思い浮かばなかった。

 本当に辛くなったら、本の世界に逃亡した。私にとって空いている時間は、本を読むためにあった。本を読んで、現実から目を逸らすことが私にとっての唯一の救いだった。

 そして、私に初めて、将来の夢ができた。作家になりたいと思った。こんなに幸せな時間を与えてくれる本というものがとても偉大に感じた。私もファンタジー小説を書いてみたいと思った。特定の作家の名前を出すことはしないが、当時、特に気に入っていた作家が5人ほどいた。彼らが書いた小説には、ハズレがなかった。全部面白かった。私も彼らのような面白い小説を書きたいと思った。試しに、家にあった大学ノートに思いつくままに、ストーリーを書いていった。10ページ書いたところで、私は自分には才能がない、と感じて落胆した。だが、今考えれば、数百ページにもなる小説をプロの作家として書き、世に出している彼らと比較すること自体が間違っていた。私はまだ小学生だった。自分がまだ何も知らない子供であることを自覚せずに、頑張れば小説くらい書けると思っていた。あの時の私は小説に心酔するあまり、その熱意ばかりが先走って、現実的なことは何も考えていなかった。でも、私にとって小説というものが、現実から逃げる手段であったのだから、現実を見ずに夢みがちな少女になってしまったのも無理はないだろう。

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