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「不適切保育」という言葉の不適切さについて

「不適切保育」という言葉。
どうもしっくりこない。
なぜなんだろう、とずっと考えている。

たぶん、誤魔化されている気がするからだ。
暴言や暴行を「いじめ」という言葉で誤魔化しているように。
日本という国はそういうのがお得意だから。

言葉から、問題の本質があまり見えてこない。
きっと違和感の原因はそこにある。

「不適切保育」と言うからには「適切な保育」も存在するはずである。
適切な保育の説明ができる人間がどれだけいるだろう。

そもそも、保育というのは「正解」がない。
BetterはあってもBestはない。
いや、あっても分からない。
なぜなら、比べようがないから。
だから、面白い。
だから、保育士の個性が生きる。

保育というのは専門的で情熱的で、創造的な仕事である。
みんなそこにプライドを持って仕事をしている。

「不適切保育」という言葉は保育をバカにしている。
「不適切」な時点で、それはもう「保育」とは呼べない。

「いじめ問題」と同じだ。
「不適切保育」と言われている行為は、暴言、暴行、虐待…。
すでに名前がある行為ではないか。
わざわざ「不適切保育」などと言う、新しい名前などいらない。
問題の本質をぼやかすようなことをするな。

「不適切な保育」なんてものは存在しない。
「保育」か「保育じゃないか」だ。
保育士が生業としているのが保育。
意地とかプライドとか信念とか情熱とか。
そういった未来創造的な崇高な仕事だ。

保育じゃない行為をしている人は、保育士ではない。
当たり前の話だ。
だから不適切な保育をしている保育士なんていない。
そんな人はそもそも保育士とは言えない。
「保育」をしていないのだから。

不適切保育なんて存在しない。
そんな言葉はいらない。

保育現場から排除すべきは、「不適切な保育」という曖昧なものではない。
保育士による暴言、暴行、虐待という、許すまじき行為なのだ。

最後に、言葉で誤魔化さない例を一つ。

「園児の名前を呼び捨てにするのは不適切保育です」
不適切保育という言葉で誤魔化さないで言うならこういうことだ、

「園児の名前を呼び捨てにするのは、子どもへのリスペクトに欠ける非礼な行為です」

不適切保育なんて言葉なんて使わなくても、十分説明がつく。
もう不適切保育という言葉で誤魔化すのはやめよう。



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