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輪廻転生から見る宇宙と魂の姿

今回は輪廻転生に焦点を当て、宇宙と私たちの魂について話してみましょう。この理論は非常に複雑で、自己解釈が難しいかもしれませんが、もしご興味があれば、このような世界観も存在する可能性を理解していただけるかもしれません。

私たちがこの広大な宇宙において生きていることは、稀有な出来事です。そして、私たちが生きている理由について考えること自体、驚くべき存在です。しかし、このような考え方ができるのは、私たちが実際に存在するからこそ可能なのかもしれません。言い換えれば、私たちが存在しなければ、この疑問も存在しないのかもしれません。これは、卵が存在するからニワトリの存在が当たり前と考えるのと似たような考え方です。

話題を戻しますが、私たちの存在は、宇宙が私たちを生み出したかのように思えます。実際、宇宙は人類の創造主のような存在のようにも感じられます。ここで"神"という言葉が出てきましたが、私個人の見解では、科学的な根拠がないため神という存在は存在しないと考えます。つまり、物理学にはそのような理論がないため、神とは非科学的な存在とされているのです。

では、なぜ私たちは存在するのかという問いに対する一つの仮説として、マルチバース理論(多元宇宙論)が考えられます。この多元宇宙論は、まだ真偽が確定していない仮説の一つですが、人間の存在を理論的に説明するために有用かもしれません。この理論では、無限に宇宙が存在し、その中で私たちが存在する宇宙もあると仮定します。この考え方によれば、私たちの存在が不思議でないのかもしれません。

ここからは、多元宇宙論を基にすると、非常に興味深い発想が生まれるのですが、その展開はかなり奇抜なものになります。なぜなら、多元宇宙論自体が宇宙の無限性に関する理論であり、この無限性の概念を基にすると、さらに驚くべきアイデアが浮かび上がってきます。

無限とは一体何か、そして宇宙が無限に広がることを私たちが想像できるのか、という疑問が浮かびます。無限を頭で考えることは、おそらく人間には難しいでしょう。そして、もし宇宙が無限に存在するならば、私たちだけでなく、私も無限に存在することになります。これは、宝くじを無限に買った場合、一等が何度も無限に当たるようなものです。非常に低い確率であっても、無限に繰り返される可能性があるということです。

無限に存在することを想像することは私にはできません。一方、私が唯一の存在ではなく、別の宇宙にも存在すると仮定すると、どちらがオリジナルか区別することができなくなります。この考え方から、私の存在は永遠に続く可能性さえもあるかもしれないという興味深い発想が生まれます。つまり、私が一つの宇宙で死んでも、別の宇宙で無限に存在し続ける可能性があるということです。これは非常に奇抜な仮説であり、私たちの理解を超える可能性を示唆しています。

要するに、輪廻転生のような現象です。私たちは何度も生まれ変わる可能性があり、それが新しい人生を楽しむチャンスでもあります。この考え方は、私たちの存在意義を考える上で興味深いものです。つまり、私たちは繰り返し生まれ変わり、異なる人生を経験することで、自身の存在に新たな意味を見出すことができるかもしれないのです。

考え方として、私たちは自分自身が唯一のオリジナルであるというアイデアが誤っている可能性があります。むしろ、私たちは何度も楽しい人生を送る可能性があり、オリジナルな存在など存在しないかもしれません。生きることは無限に繰り返され、今の人生は単なる通過点である可能性も考えられます。

オリジナルであるという概念に捉われることは、私たちが生きている間によくあることかもしれません。しかし、無限の宇宙の観点からは、この唯一無二というアイデアは意味を持たないかもしれません。私たちは何度も生き返る可能性があるので、オリジナルや唯一無二といった概念にとらわれる必要はありません。私自身は、輪廻転生という人生の一部として存在し、この無限の宇宙と無限の人生の中で一時的な通過点に過ぎない存在かもしれません。

最終的に、もし自身の生き方に不満や不幸を感じている場合、ここで述べた理論は新たな視点を提供するかもしれません。現在の人生は変えることができる自由があることを思い出しましょう。生き方は自己の選択であり、自身の可能性は無限に広がっています。詰まらない人生か、素晴らしい人生か、それはあなた次第です。古い固定概念を超えて新たな発想に挑戦することは、大切なことかもしれません。
読んで頂き、ありがとうございました。


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