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亀戸なのに、なぜ"船橋"屋?

みなさん、こんにちは、こんばんは!
船橋屋noteチームの田中です。今回は船橋屋の歴史について。

早速、一席申し上げたいと思います。(張扇バンバン←?!)

遡ること216年前、時は江戸時代

時は江戸後期の文化年間まで 遡ります。江戸の町には歌舞伎、浮世絵、滑稽本などの文化が花開き、現代まで私たちを惹きつけるクリエイター達がいた頃です。
食文化においても握り寿司、天麩羅や蕎麦など、江戸のファストフードが人々に浸透した時代。
そんな中、亀戸天神の境内でひとりの男が「くず餅」を売り出しました。

初代の勘助 

この男、名は勘助(かんすけ)。出身は下総国船橋。現在の千葉県船橋で豆腐屋を営んでいました。その頃、定期的に亀戸天神にお参りに行っていた勘助はあることに気づきました。

勘助「亀戸天神は賑わっているのに、茶屋が少ないなあ!?」(筆者のイメージ)

亀戸天神は昔から藤の名所ということもあり、多くの人で賑わう光景をみて、勘助は茶屋を開く決意します。
勘助が生まれた土地ではない亀戸でいきなりお店を開けるわけもなく…。
まず亀戸で人々との信頼関係を築こうとまた考えます。

勘助「植木屋やろうかな!」(すごいチョイス!)

亀戸天神の門前付近の植木屋にお世話になることで地元の人々からの信頼を得てから、勘助は満を持して亀戸天神の境内に「船橋屋」を開店させたのです。

亀戸天神なのに船橋...?

ここで本記事のサブタイトルにもあるように"亀戸"なのになぜ"船橋"と名付けたのか。(もうお気づきの方もいるのでは…!?)
それは当時、店名をつける時に店主の出身地を屋
号として据えることが一般的だった
からと言われ
ています。
勘助は出身地の船橋という地名をお店の名前に
し、現在でも続く元祖くず餅の礎を築きました。

船橋屋の歴史はまだまだ続きます!
今日はこの辺で🙌ありがとうございました!

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