「ずっとずっと奥に眠っていたもの」
年末だったり、誕生日であったり一年の節目に当たる日になるといつも来年は何をしているだろうと思うことがある。
今年の状況は去年と比べて大きく変わった。
去年は関東の飲食店で働いていた。
去年の12月に新店がオープンして、ちょうどお正月に向けて忙しくしていた。
雇われ店長で、右も左もわからないまま店長になってしまい、そして結局何もわからないまま自分を壊してしまった。
今は何もない長野のキャンプ場にいる。
今年は大きく2つの出来事があった。
1つは東京を離れて移住したこと。
2つ目はFacebookをやめたこと。
そしてミニマリズムという考えにたどり着いた。
環境を一度リセットして、不用な物、おそらく必要ではなくなった人間関係も思い切って見直した。
Facebookだけではなく、インスタやTwitterのフォロワーも整理した。
特に身近な人の情報は必要最小限にしたかったし、自分の情報を知る人も必要最小限に今は留めたい。
身近な人の日常を見るのは、結構体力がいる。
あー、なんとなくこんなことしてるんだな程度の情報が一番いいかもしれない。
そうするとなぜか不思議なことが起きるようになった。
懐かしい人から連絡があったり、まさかの再会を果たしたり、点だったものが線になったり。
自分が体験してきたことが繋がるようになった。
まだまだわずかだけど。
何かここ半年は4〜5年前くらいに戻った感じ。
無理はしなくなった、いや利かなくなってきたとも言える。
精神的に病んでいた時に、自分と同じ境遇になった人の話を聞いても全員が
"自分の身体が一番"
だと言っていた。
だから自分が100%気持ちが乗らないと行動するのはやめてみた。
迷ったら動かない。
"自然に身を委ねる"
"0になる"
これが今の僕のテーマだ。
今自分がしたいことや必要なことものをじっくり考えて判断するようになった。
今は便利とは決していけない環境で、服も毎日同じものを着ているけど、生活にとても満足している。
Amazonもあるし、欲しいものはネットですぐに手に入る。
食料の買い忘れもAmazonで解決してしまう。
東京にいたままではきっとAmazonをこんなに利用しなかったし、Amazonの凄さにも気付けなかった。
Amazon様々だ
Twitterでは自分の好きなものの情報発信を積極的に始めたり、紙に書くことを始めてみた。
Twitterはフォロワーを増やすことで目に見える数字がわかるので自己肯定感を少しでも上がるかなと感じたから。
あとは本当に必要なものなのか、ただ見つけたことに満足しているのか自分の気持ちを判断する練習にもなる。
書くことはいしかわゆきさんの「書く習慣」という本を読んで書くやる気が出た。
他にも本をいろいろ読んでると紙に書いた方が実現率がスマホで書くよりも遥かに高いと書いてあったり、やはり紙に書くことをやっている人が多いと感じたことが理由だ。
今まで書くことを避けて、最近はスマホでメモや書くことはするようにはなったが、実際に紙に書くことをやってこなかった。
だから、時間にゆとりがある今実験として始めてみようと思った。
Twitterはフォロワーが半年前と比べて倍以上になり、あとは情報発信のために探すものが自分の好きなものなので今のところ楽しんでやることが出来ている。
まだ大きな変化は起きてないが、ちゃんと自分の中でルールも決めてやっている。
・ツイートに統一性を持たすために情報以外のツイートは極力しないこと
・情報に探す時間は10分以内にする(どうしても探したい場合は除く)
書くこともテーマは決めずに頭に思ったことをとにかく書くことを意識している。
まず書くことを優先している。
前後の脈絡がないものがほとんどだ。
それでもいい。
書くことが少しでも出来ればいい。
でも、実際毎日書き始めると頭の中がかなりスッキリする。
頭の中のメモリーの容量が空く感覚に近い。
Facebookから離れたのもあるかもしれないが、いろいろ忘れられているものも多く、それによるストレスもかなり減った。
見たくないものを見るリスクが格段に減った。
自分が期待していたものとは全く別の発見があったから、とても面白く感じた。
気持ちは一日一日、いや1分1秒変わっていく。
急にポジティブな文章を書いたと思ったら、その1分後にはネガティブな言葉や気持ちを書いていたり。
僕が今年一年間で思い出すことといえば、夏の終わりに行った高知の景色だ。
他にも奈良や名古屋にも行ったけど、なぜか高知の印象がとても強い。
もちろん奈良も名古屋も本当に素晴らしかった。
特に奈良は自分がずっと前から行きたかった天川村に行けた。
なんでだろうと考えた時に高知は特に行き先を決めずにゲストハウスの人に観光地ではなく地元のオススメを聞いて行ったのがあるのではないかと感じた。
夏の終わりに汗をかきながら必死に自転車で目的地を探した。
自分で考えて旅をした初めての経験がとても印象深かったのではないか。
全く何もないわけでもないけど、昔ながらのちょっと懐かしさが残っているあの感じ。
何もなかった頃の自分を思い出したかったのかもしれない。
今も何もないんだけど。
もしかすると自分が否定していた中学生の時の自分が一番好きだったのかもしれない。
一番好きを純粋に追いかけていた時期。
毎日バスケットをして
ちょっぴり、いや、結構苦い恋をして
孤独になって
いろいろな目を気にしていたあの頃
でも、なんだか充実はしてた気がする。
来年一度旭川に行ってみようと思う。
懐かしい道を歩いてみたくなった。
きっと自分がなりたい姿って
「人を楽しませられて、華がある人」
エンターテイナーになりたかったんだと思う。
小4の時にナイナイの岡村さんが伝説のSMAPコンサートに出た姿をめちゃイケで見た時から。
あの時のめちゃイケのビデオは何回も見た。
学校にも持っていて、昼休み給食を食べながら観てた。
みんなが笑っていた。
小学生の時はとにかく真面目で人を笑わせることなんて一切出来なかった。
僕もああなりたい。
だから、中学になってから面白い回答を言うようになったり、学校祭やイベントで目立ちたいと思うようになったのはきっと自分も岡村さんのような人になりたかったんだ。
あの時から僕もああいう風に華があって、人を楽しませられるカッコいい人になりたいと思っていたんだ。
それなら全て今までの行動が繋がる。
"おもしろくて、華があるカッコいい人"
僕がなりたかった自分だ。
ずっと目標や夢なんてないと思っていた。
でも、こうして書いたことで埃を被っていた大切なものをもう一度見ることが出来た。
小4の時からずっとずっと自分のベースは決まっていた。
だから、あの時大切なものを犠牲にした。
理想としていた自分に近づける気がした。
一瞬だけ近付いた気がしたけど、結局は何も残らなかった。
僕は"じゃない方の人間"だった。
"である方"になれると思っていたけど。
いつも"である方"の自分を想像した。
その時は残念ながら訪れなかった。
ゆうくん
今年はどんな一年だった?
去年よりもたくさん出来ることが増えたよね。
パパは少しゆうくんとは離れてしまったけど、今はのんびりやっています。
ゆうくんのことは一日も忘れたことはありません。
ゆうくんとお出かけしたこと、電車を見たこと、パパと呼んでこっちへ来てくれたこと、思い出すのは楽しい思い出だけです。
来年もママのことをよろしくお願いします。
いつかまた一緒に遊べる日が来ることを楽しみにしてます。
photo by マタヒラ タカマサ
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?