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005 窓辺で本を-金曜日の砂糖ちゃん-

なんだか早起きしてしまった朝。
ベランダに出たらすでに少し暑くて、でも日中ほど暑くはないので、しばらく空や建物を見ていました。音はなくて、空はきれいな青色。雲は昨日よりもやや多い。
同じ朝はないみたい。

なんとなく、酒井駒子さんの絵本を思い出したので、本棚から出してきました。
『金曜日の砂糖ちゃん』
三つの短編からなる、薄くて小さな絵本。
絵が美しいだけでなく、言葉やストーリーが詩的で印象的な絵本。

今日はこちらの絵本に収録されている一つめのお話「金曜日の砂糖ちゃん」について書きます。

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主人公である金曜日の砂糖ちゃんは、お話の中でいっさい声を出しません。眠っているからです。(お話の後ろのほうでお母さんに起こされたあとも、まだぼんやりとしている表情です)
ただ、寝息は聞こえます。寝息は文字として書いてあるわけではありません。酒井さんの素晴らしい描写力によって、たしかに聞こえてきます。小さなかわいらしい寝息。
それから、聞こえるのはお昼寝をしている砂糖ちゃんのまわりにいる「いろんなお客」の声。かまきりやハチや鳥、あるいはたんぽぽの種たちの声。
言葉になっている箇所もありますが、言葉になっていなくても、いろんな声が聞こえてくるような楽しい絵がたくさんあります。

言葉としては、私は最初の方に出てくる金曜日の砂糖ちゃんという名前についての「(ちょっと変わった名前でしょう。でも良い名前です。女の子らしくて)」という部分がとても好きです。昔から、この女の子は「金曜日の砂糖ちゃん」と呼ばれているそうですが、これはお庭の世界での名前でしょうか。金曜日の午後、晴れていたら登場する砂糖みたいに甘くかわいらしい女の子は、彼らのアイドルなのでしょう。

虫や鳥、花に守られている砂糖ちゃん自身も、その存在をしっかりと感じているように思えます。これは、子ども特有のちからだと思います。なぜなら、このお話の中で、お母さんが二ページ分登場しますが、そのページは庭の仲間たちが一つも描かれていないからです。お母さんの世界(視界)に庭の仲間たちは登場しません。たしかにいるけれど、お母さんには見えないし、聞こえないのです。(砂糖ちゃんは、庭の仲間たちに手を振っているので、見えているし聞こえているはずです。)

ところで、砂糖ってとてもきれいなものですよね。白くて(茶色いのもありますが)、さらさらしていて。氷砂糖もきれい。だけど、儚いイメージです。液体に触れると、たちまち消えてしまいます。

それは、子どもの時間の短さに似ています。だれでも「女の子」でいられる時間は、人生の中では短く、あっという間に午後のお庭でお昼寝ができなくなってしまいます。
気がついたら、「お母さん」になっていて、子どもを起こす側になっているかもしれません。気がついたら、庭の仲間たちを感じることができなくなっているかもしれません。
そんな儚くて貴重な時間を描いた傑作と思います。

そんなことを考えていたら、あっという間に暑い暑い夏の時間が始まりました。
月曜日お疲れさまでした。また明日もがんばりましょ。

そして最後まで読んでくださって、ありがとうございました。

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