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052 ほころぶポタージュ

姉に会いに実家に帰ったら、ポタージュのにおいがしました。
母がにこにこしながらお鍋をあたためています。
「じゃがいものポタージュ。あなた好きでしょう?」
そう言って、ことこととお鍋を火にかけています。

私は食卓の椅子に腰かけました。

もうすぐ、姉の結婚式です。
海の見える式場で、小ぢんまりと身内だけで結婚パーティをします。

一か月ほど前に、姉の旦那さんになる方のご家族とごあいさつのお食事をしました。
大変やさしく穏やかなご家族で、終始笑顔で包まれた、すてきな会でした。


「あなたは猫舌だから、あたためすぎないほうがいいわね」
母は、そう言いながら火を止めました。姉は、まだ結婚式の打ち合わせから帰ってきていないようです。

私は、ぼんやりと窓から見える母が育てた植物たちを見つめていました。

「なっちゃん(姉の名前)、ほんとうに結婚しちゃうのね」
私がそう言うと、母はスープカップにポタージュをよそいながら、ふふふ、と笑いました。
「いやね。もう入籍は済ましているんだから、結婚しているわよ」

なっちゃん。
私とは、いろいろなことが正反対の姉。
なっちゃんはぽっちゃり太りやすい体型でまんまるな目。わたしはやせ型でちょっとつり目。なっちゃんは社交的で生徒会長をするような人。私は内向的で図書委員をするような人。

けんかもしたし、会話すらしない日々もあったけれど、なっちゃんはやっぱり、私のお姉さんなのです。

じゃがいものポタージュは、思ったよりもずっと熱くて、ふぅふぅ冷まさなければなりませんでした。私が一心に冷ましていると、母はまた、ふふふ、と笑いました。

「一生懸命スープを冷ます姿がなっちゃんそっくり」
私は目をまるくしたと思います。それから、
「えぇ?なっちゃんて猫舌なの?」
と言うと、母は楽しそうに話してくれました。
「そぉよぉ。あんたたち、似てないようで似ているのよ。猫舌なところも、臆病なところも、殺人とか事故とか、かなしいニュースを見たら泣いてしまうところも」

びっくり。
だって、おばあちゃんが亡くなったとき、毅然としていたじゃないの。
昔飼っていた猫が死んで冷たくなったときも。

「めそめそしたって仕方がないわよ。私たちはきちんと見送らなくちゃ」
こぼれる涙をおさえられない私に、なっちゃんはそう言いました。
生きていた人を焼かれることが本当にかなしくて、火葬場で下を向くことしかできない私の隣に立って、まっすぐ前を見て。
なっちゃんは、強いんだと思っていました。

じゃがいものポタージュはとろりとなめらかで、うす味で、私を記憶ごと包むようなおいしさでした。

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ガチャ
ドアが開く音がして、なっちゃんの声が聞こえました。
「疲れたぁ」

ばたばたと廊下を歩いて、食堂に入ってきました。私を見るなり
「こんなあたたかい日になに食べてんのよ」
と言いました。
私は自分のスプーンを持つ手を見て、ほわほわのじゃがいもスープを見て、姉を見て
「なっちゃんも食べる?」
と聞きました。
なんだか、食べたそうにしているように見えたから。
姉はニッと笑って
「そうね、ちょっとだけ」
そう言いました。そして、椅子には座らず服を着替えに行きました。
姉は、白いブラウスに紺色のスカートを履いていました。
シンプルでかざりけのないお洋服。なんてことない格好です。
でも、そこには、きちんとお嫁さんになる予定の姉がいました。

部屋着に着替えた姉は、ぽんっと私の隣に座りました。
私は
「式の準備は順調?」
と訊きました。姉はぱっと明るい顔で話しました。
順調よ。大変だけど、楽しいわ。今日は向こうのおかあさんとおとうさんも来てね、式場を飾るお花を見たの。おかあさんは、やっぱり白い花がいいんじゃないかって。私もそう思うわ。
おかあさんは、またお土産をくださったの。あとであんたにもあげるわ。クランベリーが入っているクッキーですって。おいしそうでしょう?

そこまで言うと、母が姉のポタージュを出してくれました。
「大忙しね」
と言いながら。

白い花。
夏生まれのなっちゃんは、黄色い花が好きだったんじゃないかしら。

向こうのご家族はとても良い人です。
なっちゃんをとても歓迎してくれているのもわかります。

でも、どうしてでしょう。
どうして、お嫁に行くなっちゃんではなく、私が不安になっているのでしょう。

「おいし〜い」
なっちゃんは母と楽しそうに話しています。
「ね、このスープの作り方教えて」
母は、はいはいと言いながらレシピをメモに書いています。

母はどうして落ち着いていられるのでしょう。
私は、すっかりスープをすくう手が止まってしまいました。

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なっちゃんが帰ったあと、私は猫とごろごろしていました。
猫は私の脱ぎ捨てたくつしたのにおいを嗅ぎ、鞄の金具のにおいを嗅ぎ、私からすこし離れたところでぺしゃっと横になりました。

「そろそろ帰ったら」
母に促されるも、私は返答せず天井を見つめていました。
そして
「お母さんは、なっちゃんがお嫁に行くの、さみしくないの」
と訊きました。母は首を傾げて
「さみしくないわ」
と言いました。それから続けて
「なぁに、あなたさみしいの?」
と私に訊き返しました。

さみしい?

そこで初めて気づきました。
私は姉が他の家族に入ってしまうことが、さみしかったのです。
とても、とてもさみしかったのです。
でも、これはおめでたいことだから、なっちゃんのシアワセだから、さみしがってはいけないと思い、さみしい思いをなかったことにしていたのでした。

さみしい思い。
それは、見て見ぬふりをする限り、どこにも行けず私の中にわだかまっていました。

私は
「そうかも…」
と認めました。それは勇気のいることでした。
母は寝ころがっている私の横に座って言いました。
「どこの家に入っても、なっちゃんはうちの子よ。誰のお嫁さんになっても、あなたのお姉さんよ。だから、結婚しても遠慮せずに時々なっちゃんに連絡してあげなさいよ。あなたと一緒でなっちゃんもさみしがりやなんだから。」

なっちゃんも、さみしがりやなの?
おばあちゃんや猫とお別れするとき、本当は泣いていたの?
そういえば、あの時私はずっと下を向いていて、涙でなにも見えていませんでした。
どうして姉が前を向いて泣いていたかもしれないことに気づかなかったのでしょう。
実際に涙を流していなかったとしても、心の中で泣いていたかもしれないことに、どうして気づかなかったのでしょう。
私が黙っていると、母はぽんとひざをたたいて立ち上がりました。
「めそめそしないの。かなしいことじゃないでしょ。別れではないし、人生は続くんだから」

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今はもう大丈夫です。
わだかまっていた思いはきちんと吐き出しました。
だから、めそめそせずに、きちんと見送ります。
一人の妹として。決して私には涙を見せないなっちゃんの妹として。

そして、心からのお祝いを贈ると同時に私は祈ります。
なっちゃんがしあわせになりますように。
そして、なっちゃんの作るポタージュがおいしいと言われますように。

なっちゃんの結婚式は、9月22日です。

今回も最後まで読んでくださって、ありがとうございました。


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きょうのイラスト

アイパッドを購入して初めて描いた、なつかしのイラスト。
やさしいスープには香ばしいパンを添えて。

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