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soarにまつわるエトセトラに思うこと

誰もがみな、世界を変えたいだとか世界をよりよくしたいだとか、考えながら生きているわけではない、と思う。

それを理想として、表現活動をするのは大いに結構だけど、同じ価値観の人間が寄り合うにすぎず、外の人間からすればその光が眩しすぎて、うっとうしいだけかもしれない。

そこでは、闘病しながら働くことができない多くの「リアル」(マイノリティの中のマジョリティ)は描かれないし、PVが見込める「かっこいい」や「かわいい」ばかりが映し出されるのだろう。

ハンディを抱えながら何かに取り組む、打ち込む姿は、キラキラしているから。
ただ、その光の危うさというものを知っておかなければならない。

「かっこいい」にも「かわいい」にも選ばれなかった、何者でもない私は、どんなあかりを灯しながら生きていけばいいのだろう。

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