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私が上白石萌音な確率68%くらいある

「待って、私、上白石萌音なんだが?」

上白石萌音が書き下ろしたエッセイ『いろいろ』を読んだ直後の感想がこれだった。大丈夫です大丈夫です私はいたって冷静ですよ。ちゃんと説明しますのでご安心ください。


毎日観ている朝ドラ「カムカムエブリバディ」で、上白石萌音が演じる初代主人公・安子編が今週で終わった。心に靄がかかるようなネガティブな終わり方だったこともあって、深津絵里にバトンタッチしてもなお安子のことが頭から離れなかった。

あ、そういえば上白石萌音ちゃんのエッセイ買ってたな、と思い出して本棚から(正式には押し入れに平置きで積み重ねていた本の山から)引っ張り出してきて読み始めた。そもそもハライチ・岩井のエッセイが読みたくて本屋に行った時にたまたま見つけて「売れっ子はどんなことを考えているのか見てみたい」とひねくれた好奇心から買ったものだった。

『いろいろ』という名の通り、この本には彼女の日々感じている「いろいろ」が書かれたエッセイが50篇綴じられていた。喜び、痛み、強さ、優しさ、あたたかさ。彼女の世界が瑞々しい語彙で表現されていた。読書好きというのはこのエッセイを読んで知ったが、なるほど読みやすく表現豊かな文章を書く訳だ。「本当にこの人が安子を演じ切った女優なの?」と思ってしまうほど、いたって普通の23歳の女の子(女性というより、女の子、がしっくりくる)の、飾らない日常がそこにあった。

それで思ったのだ。

「私、実質上白石萌音だわ」と。

まず文章の書きぶりが似ている。
出来るだけ自分の言葉で解像度高くそこにあるものを表現しようとするところ、全体的に柔らかい文章、書いているうちに抽象的で壮大な世界に向かっていきがちなところ、やたらと文章の中でありがたい瞬間に感謝しがちなところ、「頑張ろう」と「ダメでもOK」の波があるところ。読んでいるうちに「うわぁ〜これ私もしそうな表現だな〜」と思う箇所の多さに気づく。そして、ナルシストっぽい発言だが私は私の書く文章が大好きで何度も自分の文章を読み返すのだが、彼女のエッセイを読んでいる時、自分の文章を読み直している時とかなり近い感情だった。

あと性格や物事の捉え方も少し似ているような気がしてならない。
ちょっとめんどくさいところ、辛い経験もそれなりに経つつ家族や友人に恵まれて幸せに生きてきた根の明るさが滲み出ているところ、自信ないなりに自信を持とうとして一生懸命に生きているところ、クロスステッチやフィルムカメラにはまっているところ、何かを足に挟んで寝るところ、緑が好きなところ、なんならちょっと目とか口とか似ていないか?ちょっと垢抜けてない感じとかも似てないか?

もし彼女のファンの人がこれを読んだら「聞いてられん!なんじゃこいつおこがましい」と思うかもしれないのでここら辺でやめておく。確かに「実質上白石萌音じゃね?」は盛りすぎた。いくら共通点を見つけたところでここまで読み応えのあるエッセイを私はきっと書けないし、読む限り私は彼女ほど出来た人間ではない。でも、限りなく近い気がしてならないのだ。この世界を「上白石萌音み」がある人と無い人で半々にしたら「ある人」に分類されるという根拠なき強い自信がある。しかも「ある人」の中でも結構「ある」方だと思う。この世の人間を上白石度0〜100%で表すとしたらどうだろう。直感だと8割ある。いやでも多すぎるか…私より上白石率がある人もきっといるだろうしな…なんなら7割もいっていないか…?自分的には75はいっときたい感覚あるけど…いや〜でもちょっと自信なくなってきたな7割は…よし決めた、68%にしよう。これなら文句ないでしょ。うん、我ながら絶妙ですな。

ここまで書いて思った。こんなこと上白石萌音は考えないだろ。

以前友人から聞いた話で「文章を読んで『これなら自分でも書ける』とちょっと下に見えたならそれが自分のレベルで、『自分と同じくらいかも』と思ったらその文章は自分より数段上のレベルのもので、『なんだこれ、すげえ』は神の領域でそこまで行くにはかなりの時間がかかる」というのがある。

68パーセントとかよく言えたもんだ。まだまだなんだよ上白石萌音様と同じ位置に座ろうとするのはよ。なーにが「絶妙ですな」だ。もういっぺん読み直して出直しな?

つまり何が言いたかったかっていうと、あれほど活躍して実績を残して素晴らしいお芝居をしている優しく強い彼女が「え、これわたしとおんなじ感覚だ〜!」と思わせるほど「ふつう」の人の感覚を大切に持っているのってすごいことですよね。

ってことです。本当にすみませんでした!!!



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