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旅_2024年2月18日/晴れ

ちょっと大きめな駅を降りて、ふとあたりを見る。
ロータリーのまわりにファッションビルがあって、
ビルの間にはなんとか商店街のアーチ看板がかかっていて、
タイル敷きの歩道には並木と街路灯があって、
屋根つきのバス停もいくつかあって、
小さめの交番とか、宝くじ売り場があったりするかな。
いつからか、
駅前の景色がどこも同じになったなぁ、とわたしは思うようになった。
安全のためとか、もっと便利にとか、
行政や商店街や運輸会社が、それぞれの「駅前」で、
どこかほかの「駅前」でやっている「いいもの」を取り入れるから
結果、同じような風景になるのは当然なのだけど。
ほんとうに、疲れてぼんやりしているようなときは
ほかの駅と見間違うこともある。

わたしが旅行にそれほど乗り気にならないのは、
どこに行っても「同じような景色」を見ることになるのを
怖がっているからかなと思う。
じぶんの知っているのと同じようなつくりの駅前に降りて、
観光地に着くと、どこかで見たのと同じような見栄えの
食事処とか土産物屋を通る。
「これがみんなに好かれる顔」という化粧が厚いと、
その下で震えてるはずの、人とか地域とか「血肉」に触れない気がする。
現地に行ってしまえば、そんなこともないのにね。

外国旅行に行ってきましたという映像の中で、
レストランとか雑貨屋とかがよく出てくる。
で、考えたら、日本と違うことを体験しに行ってるはずなのに
店の外観とか内装とか商品の見せ方とか
日本で慣れてるのと同じだったりする。
店については、パリ風とかニューヨーク風とか
日本はよく外国を参考にしてきたけれど、
これからは、日本文化を、日本風を
「いいもの」として外国の店がとり入れるかもしれない。
そしたら世界はもっと「同じような風景」になっていく。

外側の「装置」が均一になるのが避けられないのだとしたら、
地球上の都市や町の違いは「地理」「地形」に見つけることになる。
赤道に近いのか極に近いのか。山に囲まれるのか、海沿いなのか。
太陽の角度、光の強さ、風の具合、湿気、熱、
その土地ならではの気候を、見て聞いて食べて触って感じること。
そういう気候のなかで、
人々の気質や文化というその土地の「血肉」が生きている。

土地に漂う空気は、山や海を伝ってほかの土地へ流れていく。
旅行にやってきた土地の空気が、日本へつながっていると思えば、
違いがはっきり感じられるかもしれないなぁ。

と言いながら、外国土産でヘンテコな日本食品をもらうのもわたしは好きですが。


ヘンテコな日本食

よんでくださった方、ありがとうございます! スキをくださった方、その勇気に拍手します! できごとがわたしの生活に入ってきてどうなったか、 そういう読みものをつくります! すこしでも「じぶんと同じだな」と 思ってくださる人がいるといいなと思っています。