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料理は娯楽_2024年6月1土/晴れ

先日、プロ野球、日本ハムの新庄監督が、
阪神タイガースとの試合で、なんと、阪神のユニフォームを着て登場した。
場所は阪神のホーム甲子園球場で、でも、かつては自分が活躍した古巣。
だからユニフォームの背番号は、阪神で新人だったときの63番だった。
日ハムファンも阪神ファンもわたしも、
「新庄なら、なんかする」とは思ってた、けど、
いやぁ、よろこびましたよ、びっくりした。
このパフォーマンスは、ほんとはルール違反らしいけど、
試合前に新庄監督と握手する審判だって、その瞬間はにこにこしてた。
新庄監督の「ファンをたのしませたい」という熱心が、
甲子園をのみこんだのだった。

新庄監督の行動は、計算されていたという。
かつてのチームメイトであり、監督として見習っただろう
阪神の岡田監督への敬愛もこめられていたのではないか。
自身が率いる日ハムの選手が甲子園で萎縮しないように
場の雰囲気をやわらげる目的もあったといわれる。
現役時代も、引退してからも、
「じぶんがこうしたら人は喜んでくれるかな」と派手なことを考えて、
それをやっちゃうのが新庄監督だった。
新庄監督は、べつにしなくてもいいのに、
じぶんで面白がりながら周りの人をたのしませてきた。
それは遊んでるようだった。

で、唐突で悪いのだけど。
「面白がりながら人をたのしませる」ということを考えていて、
それは毎日の料理でも同じだな、とふと思った。
そもそも料理ってなにか?
大昔、お猿さんから分かれた大先輩たちは、
実も葉も肉もそのまま食べていた。やがて塩をみつけ、
それをまぶすと、実や葉や肉を「おいしくできる」ことに気づく。
酢とか砂糖とかスパイスとかもみつけてはおいしくしてきた。
火で焼く、煮る、蒸す、揚げるという方法も編み出して、
そのたびに、おいしいものや食べられるものが増えていった。
飢餓に備えて保存食をつくるためだったともいわれるけど、
「おいしくしたい」、それから、誰かを「おいしくしてあげたい」という
昔の人の「気持ち」が料理を続けさせたにちがいない(きっと)。
で、「おいしい」は、「たのしい」につながっている。
今では、キャラ弁みたいに、食べもので人形をつくってたのしませるという
料理の工夫までみられるようになった。
なんでこんなことを思うかというと、じつはわたし、
いままで「食べる手段」だと思って料理してたんですよねー。
見栄えや味ばっかりにこだわる料理を、ほんとは快く思ってなかった。
それが、切ったり煮たり焼いたりすることは、そもそも
じぶんや誰かを「おいしくする」「たのしませる」ことなんだと思ったら、
なんだかキャラ弁のことが許せてしまったのだ。
おまけに美食とか、愛好家とか、食べる側についても、
そういうものあるなと思えてくるから不思議。
新庄監督の阪神ユニフォーム姿を見て、
料理についてもっていた重い塊が溶けてしまった。

ご飯をつくることは炊事じゃない、それは面白がれる。
「料理は娯楽だ」と思ってもいいんじゃないか、
ということに今さら気づいた。
そして、人は、「娯楽」なしでは生きていけないということもね。

「娯楽」が求められてるところって、ほかにもありそうだ。


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