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ほんとうは故郷なんてどこにもないんだとわかっているのに、どこかへ強烈に曳いていく、わびしさもない、つらさも息苦しさもない、透きとおった感情だけがあるような音色。

大河ドラマ清盛の第1回、子どもの歌が流れたときの、あの、頭をなぐられたような感覚は忘れられない。

遊びをせんとや生れけむ
戯れせんとや生れけん

画面のこちらで、目をむいた。
梁塵秘抄だ!音色があったんだ!
音階がひとつかふたつ、少ない気もする。
7音に慣らされているのか、元来、ひとの心のうちはそういうものなのか、この音の落ちぐあいは、どうも不穏な気持ちにさせられる。
この2行だけを、延々とループしている。
この今様は、もっと長いのに。
部屋のあちらこちらから、白い薬包が、ひとつまたひとつと、見つかっていくような心地になる。
もちろん薬包には、くすりの名は書いていない。
透けるようなうすい和紙を、ていねいに折りたたんである。
なかみのくすりは、白。
なんの手がかりにもならない。


いきなりこの音色をもってきたということは、この大河は、こういう路線でいくのか。
清盛は、なかなかむつかしい。
どうやってヒーローにするんだろう。
このとき、時代は義経を待っている。日本史のほこる悲劇のヒーローが、このあとに待機している。
おごれるものである平家を、義経に討滅させられた平家の領袖を、どう描くのだろう。
そう思っていたところに、この音色。
どちらかというと、たたかう意気をそがれる。
高揚感とは、ほど遠い。末法の谷底に落とすかのような旋律。

ここで、時間をまきもどして、大河ドラマの最初の音色をきいたとき、どうしておどろいたのか。
ちがった音色として、思い描いていたからだった。
『舞え舞え蝸牛』という、田辺聖子が書いた本のラストシーン、この今様が歌われる。
この本は、おちくぼ物語を、すこし色をつけて小説にしたもので、おちくぼ姫は、シンデレラである。
つまりはシンデレラストーリーで、そのラストシーンにこの今様が流れるのだ。
勝利の酒宴。
大団円の、それはそれは、騒がしい宴のおり。
宴もたけなわ、みなで唱和する。

遊びをせんとや生れけむ
戯れせんとや生れけん

かなりたのしげな音階をあてるのは、自然な流れだと思う。
このとき、遊びや戯れに、そんなに強い意味はあてられていない。
笑いさざめく、こころよい時間くらいの味覚かと思っていた。

今様は、こうつづく。
かたつむりに舞を強要しておきながら、うまくいかなかったら馬で踏みつぶすぞと脅す。
馬の子や牛の子に、蹴させてん。
田辺聖子もふれていたような気がするけれど、この歌詞を、宴会で歌う。
そのメンタリティがよくわからない。
そして、大河ドラマにひっぱってくる意図も、むつかしい。


いや、違うか。
梁塵秘抄が、よくわからないのか。
この時代の、平安末期の感覚がつかめていないのか。
遊びをせんとや、生まれけむ。
この世はうつせみ、栄華もたわむれ。
あちらこちらに散らばった白い薬包が、「わたしをお飲み」と、せまってくる。
あおってしまっていいものか。あとには安寧があるのだろうか。
少なくとも、この曲を延々とループしていると、終わらないあやとりをさせられている気になる。

そして、帰るところはどこにもないのに、どこかへ帰らねばならぬ気に、強烈にさせられる。

遊ぶ子供の声きけば
我が身さえこそ動がるれ
舞え舞えかたつむり
舞はぬものならば
馬の子や牛の子に蹴させてん
踏破せてん
真に美しく舞うたらば
華の園まで遊ばせん

▼思い出し元の本はこちら

▼この曲、タイトルそのままだった。

▼このマンガもおもしろかったー!現代風アレンジで、よけい元気になる感じになってる。

▼音色はここで聞けます。

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