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すべてのビジネス本を手放した時のこと

私は約1年半ほど前に共同経営で起業しようとする直前で仲間と折り合いがつかず身を引いたという経験をした。それまでの経緯は言葉にはしきれないような深い闇のようなものになるので、ここには書かない。

私はちょうどその時に、自己啓発本なるものやビジネス本をほとんどすべて手放した。

私は24歳頃から10年間かけて相当なビジネス本を読んだと思う。
同じ年代の人と比べても読書の量だけはかなりのものだった気がする。
最初の1冊は忘れもしない、松下幸之助の「リーダーになる人に知っておいてほしいこと」だった。思い返してみても、とても良い本だったと思う。

今思えば、これまで買った本はだいたいどの本にもだいたい同じようなことが書いてあった。私が買ったものがだいたい同じようなものだったのかもしれないのだけれど。

とても役に立ったものもあったし、役に立つどころか不安をあおられた気分になったものもあったし、自分にはまったく必要のなかったものもあった。でも、ビジネス本を読んでさえいれば、どこかに自分の人生の答えが書いてあるんじゃないかと思って10年以上読み続けていたんだと思う。

それで、私はある時思い付きで(本当は起業に失敗してビジネスのビの字もみたくなかったからなのだが)ビジネス本を手放すことになるのだが、なんていうか、完全に本末転倒なことを言ってしまうが私はビジネスっていうものに、「とんでもなく興味のない人」だったことにすべてを失って初めて気が付いてしまったのだ。
読みまくって出した結論がそれだなんてちょっと笑える話だ。
厳密にいうと、ビジネス以外に、私自身がかつてもっと情熱を掲げていた、忘れかけていたことに気がついたという感じだ。

ビジネス本がすべてなくなった私の本棚をみて、
私の心がどれだけ躍っただろうか。

私の好きな文学小説、(夏目漱石だったり村上春樹だったりジェーン•オースティンだったり、エミリー•ブロンテだったり)学生時代から買い続けてきた雑誌ブルータスの映画特集のタイトル「どうにも映画好きなもので」、角田光代、スティーブンキング、トルーマンカポーティ。そのほかにも私が長年何度も読み返してきたような本たちが、生き生きとしてこちらを見ているではないか。

それらの本は、いつのまにか「自分の一人のちからで稼ぐ方法」だとか「ウェブマーケティングマニュアル」だとか「これからのビジネス2.0」だとかいうような(ちなみにこんなタイトルの本はない。)書籍たちに埋もれ、長らく出番をなくしていたのだ。

ビジネス本を手放したおかげで、私はまた大好きだった彼ら(本のことをそう読んだのは今日が初めてだが)に再会できた。このことだけでも私がビジネス本を読み続けてきた意味があるようにさえ、思えてくる。

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私は、ビジネス本を否定しているわけではない。
実際にほとんどの書籍は確実に私の役に立ってきたと思う。それにこれからだって、きっと気になるものは買って読むと思う。
昔、作家でお笑い芸人の又吉直樹さんが言っていた好きな言葉がある。「この世にあるすべての本は素晴らしい」。

でも、たくさんのビジネス本なるものを読んでしまい、自分に染みついてしまった、あるクセに気が付いたのだ。

それは「ななめ読み」である。一時期速読についての書籍が多く発売されていたことがあった。斜め読みを身に着けて、いかに効率的に多くの書籍をよみインプット量を増やそうという趣旨のものだ。私はそれらの本の通り、なかなかの斜め読みスキルを身に着けて、本なんてだいたい1日足らずで読み切ってしまうほどにまでなった。

でも、私の本棚で出番を待ち構えていた多くの文学小説などは、斜め読みを期待しないだろうと、今の私は思う。
なぜならそこにある一言一言が美しく、物語の大筋だけでないすばらしい一行などがそこにはあるからだ。見落としてはいけない一言があるのだから、斜め読みなどしてしまったらその作品の命を無駄にしてしまう気さえする(大げさ?)。

そんな風にして、私は「これからしばらくは丁寧に本を読むことにするよ」などとぶつぶついいながら、あの日私は古本屋で買いすぎた本を手放した。あの時の自分には必要だったが、今の私はたぶん必要ないと思ったから。必要な別のだれかの役に立ってほしい。

そして、今は、やっと自分の人生を生きている心地がしている。

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