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2005年夏、新宿の夜

「ファッションとか音楽とか映画だとかのカルチャーはもう、卒業するべきだと思うの。」

「そう、大人だしね。」

大学時代からの友人である加藤とは、大学を卒業し、社会人になったばかりの20代の頃によくそんな話をした。
2000年代の終わり頃のことで、スマートフォンもSNSも使っていなかったような時の話だ。


加藤と出会ったのは、バイト先の新宿三丁目にあるチェーン系居酒屋だった。

私よりも先に働いていた加藤は、新宿にある服飾系の女子大に通っていて、私と同じ3年だった。パツンと切り揃えられたボブにほんの少しだけ金髪のメッシュが入っていて、制服の作務衣姿でもわかるぐらいお洒落な女の子だっだ。

加藤と仲良くなるのに、時間はかからなかった。

過去の友人の大抵がそうだったように、どういうふうにして仲良くなったのかはよく思い出せない。
しばらくして気がつけば、飲みに行ったり、時々お茶をしたり、時には互いの家に泊まるほどの仲になっていた。

だが、加藤との仲が本当に深まった時のことは忘れもしない、20歳の夏の神宮の花火大会の日だったように思う。

バイト仲間4人で、花火大会を楽しんだ後、私たちは新宿の適当な居酒屋で飲みなおした。この時点でかなり酔っていたのだろう。すでに時刻は22時を回っていて、終電の前には帰ろうかという話をしていた頃、私の携帯が震えた。

「久しぶり。今、男4人でいるんだけど、もし女の子といるなら飲まない?」

別れて一年ほど経つ元カレからのメールだった。
8月の夏休みの週末の夜である。飲みに出ているのではないか、と思ったのだろうか。
軽いノリの唐突なメールに驚いたが、ちょうどこちらも女4人だ。初対面の男達と飲むのにちょうどいいぐらいに、皆酔っていた。私は3人にどうしたいか確認すると、全員がすぐに快諾した。

「こっちも4人。新宿にいるから。もう充分飲んだから、カラオケならいいけど。」

これでもう、今日は朝までオールだ。

あの頃は、どういうわけか、一晩が永遠のように感じられた。

あの夜のことを思い出したって、たった一夜のことなのだろうかと思うほどだ。
20歳の頃なんて、誰もがそんなものなのかもしれないのだが。

私たち4人は、男達と新宿のカラオケボックスで合流した。結局、全員私の知っている面子で拍子抜けした。
彼らは私よりも一歳年上の大学生で、当時はまだ21歳だったはずだが、長髪にしていたり髭を生やしていたり、外国の渋い銘柄のタバコを吸っていたりと随分と大人びた雰囲気を出そうとしていた。

私たちは、宇多田ヒカルだとか、GLAYだとかMr.Childrenだとか、大塚愛だとか、小室ファミリーだとかのカラオケの定番曲を歌った。

そして、気がつけばもう深夜2時ごろになっていた。

恋とか愛とかそんなものを求めて集まっていたわけではなかった。

ただ、刹那的に酒を飲み、夏の夜を楽しく過ごしたかっただけだったのだ。

そういう夜を、あの頃の私たちは、よく過ごしていた。
あるいは、ただ何か意味のないことをして時間を潰したかっただけかもしれない。
いずれにしたって、理由など何もなかったように思う。

隣に座っていた加藤に話しかけられた。「ねぇ、一緒にトイレ行かない?」

加藤が自然に手に持っていたバッグを持ったのでわたしもつられて荷物を持って部屋を出た。

「トイレってのは嘘。ここの近くに朝までやってる喫茶店あるから、抜け出してコーヒー飲まない?お酒の後のコーヒーって美味しいんだよ。それに、カラオケはもう飽きちゃった。」

加藤はそういうと、わたしの手を引っ張ってカラオケボックスを出た。

深夜にも関わらず新宿の街には酔った人たちで溢れていた。外の空気はむっとして半袖から出ていた腕がベタベタとした。自動販売機の明かりに虫たちが寄生し、その隣でスーツを着たサラリーマンが道路で眠っていた。
それは、新宿の夜らしい光景だった。


「あんたとはさ、出会った時から仲良くなりたいと思ってたの。だって髪型もなぜかロックっぽいし、絶対にくせものだと思ったもの。」

加藤はコーヒーを啜りながら私にそう言って笑った。
たしかに、飲んだ後のブラックコーヒーは本当に美味しかった。

当時の私は黒髪のロングヘアで、前髪をアシンメトリーにカットし、よく黒のスキニーデニムを履いていた。ギターもロックもやったことはないが、バンドのボーカルっぽかったことを、加藤はいまだにネタにしてくることもある。

私たちは、コーヒーをすすりながら酔いを覚まし、互いなの好きな服や映画、音楽の話をした。加藤は、マクドナルドでバイトしていた時にナンバーガールの歌詞を紙ナプキンに書いていたこともあったと言い、私はくるりの岸田繁が好きで、先日は金沢までわざわざライブに行ったのだ、とかそんな話を永遠にした。

他にも、好きな映画や本のことを語り合い、よく互いに貸し借りをするようになった。よく週末の夜には、ハウスやテクノを聴きにクラブに行ったりもした。


あの夜から2年後、私たちは大学を卒業した。2人の話の中での私は映画を撮るはずだったし、加藤は服のブランドを立ち上げるはずだったが、2人とも普通に社会人になった。

社会に対して中指を立てるほどではなかったものの、メインストリームに反発するタイプの学生だったはずの私たちは、20代の半ば頃からすっかりその気配を無くしていった。

周囲が正統派(何を持って正統派かはわからないが、そういう気がしたのだ)の相手と結婚し、子供を産むようになったりすると、私たちもそれをなぞるように、着る服や髪型を変え、次第に好きだった音楽やカルチャーへの温度が少しずつ下がっていった。
(そんな服装をしたからといって、現実は何も変わらなかったが)

社会に出てしばらくは、かつて私たちが大事にしていたそれらが、あまり必要ないもののように感じた時期も長くあった。


先日、東急東横線の沿線にある学芸大学駅周辺をぶらぶらと歩いていたときの事だ。

雰囲気のある古本屋で、かつての私と加藤のような、みるからに文化系の2人組の大学生ぐらいの若い女性が、アート関係の本棚を真剣なまなざして眺めているのを見かけた。

彼女たちは、店の外の道端に生えているなんでもない草花に反応し、それを訳知り顔で写真におさめたりしていた。

もう、私にはあの頃のような自分は戻ってこないのだろうか。

私は、懐かしいような、少し寂しいような気持ちになっていた。

いずれにしても、20歳のあの夏の一晩は、私の大切な記憶の出来事だ。

素晴らしい映画や本に出会った時、いまでもつい加藤に連絡をいれてしまうのは、きっと私はまだ、あの夜の続きをしていたいからなのかもしれない。



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