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私はアメリカで熱を出し、成田エクスプレスで夫に出会った

読んでいて思わず涙で文字が滲んでしまった。

今日、友人から「あなたたち夫婦みたいだよ」と、送られてきたジェーン・スーさんのコラムが素晴らしい。

今日の今日まで、私は「この人と一緒にいると、安心してタスクを分担できる」が、日常におけるパートナーシップのベストだと思っていた。それを「この人と一緒にいると、ひとりではとれないリスクがとれる」に更新できたら、なんと素晴らしいことだろう、可能性の扉がパンパンと開いていく音が聞こえてくる。お互いを縛る鎖ではなく、見えない命綱でつながっている安心感がある。
出典 https://www.kinomegumi.co.jp/good_night/otukare03-02/


今パートナーのいる人も、今いなくても過去にいた経験がある方ならばもれなく感じるものがあるのではないだろうか。

何よりも、今一緒に過ごしている相手や、目の前の出来事や物事をプラスに捉えてみることを随分と忘れてしまった自分に喝を入れられたような気分だった。


結婚して3年。夫と出会って5年になる。


出会ったあの頃のことを思い出すと、月日の経過は本当にあっという間だ。



2017年、仕事での過労とパワハラとセクハラ(当時は無自覚だった)による謎の体調不良の中で、追い打ちをかけるようにして、長く付き合った恋人と別れた。

何もかもが最悪の状態だったのに、私はその時1人アメリカに傷心旅行に行った。

それは、中学生の頃に留学をしていたオレゴン州のポートランドだった。雑誌BRUTUSの表紙にもなったことのある文化系界隈の人間に人気のホテルにたった一人で泊まり、ロビーで当時流行り出したサードウェーブコーヒーを飲んだり、近くの公園でただサンドウィッチを食べたり、ヴィンテージショップでUSの希少価値の高そうなコンバースのスニーカーを買ったりして過ごした。(実際希少価値など全然なくただ古いだけのスニーカーだったが、いまだに気に入っている)


リラックスして気分良く過ごしていたのも束の間、私は、旅の途中で風邪をひいてしまった。
朝起きると喉が痛いし熱もあった。アメリカの西海岸に来ると(乾燥のせいだろうか)毎度そうなるのだ。

ホテルのロビーで体調不良を訴えると、近くの薬局を教えてくれそこで風邪薬なるものを買い、これまたホテルの近くにあった人気のオーガニックスーパーWhole Foods Marketで食べ物や飲み物を買い込んだ。
そうして2日も3日もほとんどをベッドの中で過ごした。
アメリカまで来て(しかも一人で)風邪をひいたというのに、わたしは風邪で学校を休んで親に内緒で1日テレビを見て過ごした小学生時代を思い出してなぜかワクワクしていた。


USのNetflixにアクセスして日本未公開のドラマや映画を半分ぐらいの理解でみたり、薬が効いてくるとふわふわした気分で散歩に出掛けて、入った瞬間からお気に入りになってしまったポートランドで人気の書店「Powell’s Books」でZiNEや雑誌を買って読んだりして過ごした。
あるいは、ただそこに行き交う人を近くのベンチに座って、Whole Foods Marketで大量に買ってあった美味しいオーガニックのフレッシュジュースの一本を飲みながら、ただ眺めて過ごしたりしていた。たまにピザを一切れだけ食べたりもした。



ある意味で、これこそが、私らしい旅だった。


結局最後まで体調も大して良くなることのないまま、ふらふらな状態でわたしは帰国した。

だが、不思議と私の気分だけはすっきりとしていた。

帰りの成田エクスプレスの車内で、なぜかもう私は失うものは何もないと思い、人生で初めてマッチングアプリに登録をした。

とりあえずカメラロールの一番上の方にあった、アメリカのホテルを背景にしたろくに盛れてもいない自撮り写真をプロフィールにのせた。


「もしかして、ポートランドのエースホテルですか?マーケティングのお仕事の関係で行かれたのですか?とても素敵ですね。」


アプリを初めて一月ほど経った頃だろうか。

マッチングしたほとんどの男性からは、顔の造形、趣味、休日の過ごし方や料理ができるかどうか、好きな音楽は何だ、フェスに行くことはあるか、だとかそんなことしか聞かれなかった中で、第一言目で私がアメリカで泊まっていたホテルのこと、私の仕事のことに興味を持った人がたった一人だけいた。

わたしはなぜだかその時、嬉しいとかよりも先に「今までのつらかったことが報われた」と思った。それはマッチングしたからというより自分の大切にしてきたものや努力してきたことをはじめて誰かに肯定された気持ちがしたからだ。

そういう風にして私は現在の夫に出会うことになった。

きっと、あの瞬間のことは、一生忘れないだろう。



30代前半、いつかは結婚出来ればいいなと期待しつつも、正直いえばどちらでもよかった。

むしろ諦めてもいた。

なによりも仕事は充実していて、(厳密には、そう思いこんでいたと言えるが)休みさえあれば躊躇なく海外旅行に行くことができる程度には、満足のいく報酬も得ていた。

それ以上に、わたしは飽き性だったのだ。

正直に言えば、恋愛は多い方だったと思う。別に特別モテてきたというわけではない。ただ私はすぐに誰かのことを、好きになれただけだ。
でも、一人の人と長く関係を続けていくとことがとても難しかった。長くなればなるほど、自分という人間の一部が消えていくような気がしたし、相手の一部が自分になってしまう気がした。それが嫌だったのだ。
相手から振られてしまうパターンではきまって自分の方の気持ちが重くなり、「俺がいなくても大丈夫でしょ」というような(ドラマでよくありそうな)セリフを言われて終わってしまった。別に勝気な性格でも一人で生きていけそうなタイプでもなかったのに。それも本当にいつもつらくて悲しかった。
だから、自分は真に誰かと深い人間関係を築くことができない人間なのだと思っていた。
そしてそのことについて、半ば諦めていたし、特別変えようとも考えていなかったのだと思う。


そういう私が奇跡的に出会い実際に結婚をした夫は、これまでの私の価値観をガラリと変えてくれた人でもあった。

ある時期から仕事が全てだと信じて疑わず、パワハラやセクハラまで受けていたことさえ麻痺して気が付かなかった(この世はそれさえも利用していくものだとさえ思っていた)仕事中毒の私が結婚してから、(彼は相談には乗ってくれたが、私が答えを出すまでは特に何か助言する様なことはしなかった。)今の生き方は何かが違うと思い始め、体調もやはりあまり良くなくなって、そういう生き方を一度全部やめた。

その代わりに、私がこれまで失っていた、かつて好きだった映画や読書という人生の中でもとても大切で変え難い時間を取り戻すことに成功した。もちろん毎日体調も良好だ。過去の自分を取り戻したというよりもむしろ、もっと新しい自分になれたような気分がしている。

間違いなくこれは物理的な意味で夫がいたおかげで、できたことだ。

「ゆっくりして、また何かやりたくなるまでとことんやりたいことやりなよ」夫が言った。

一人暮らしであったらこんなことは、きっとできなかった。

もちろん以前より贅沢はできないけれど、実際に一人暮らしで自分一人で自分に生活がかかっている生活をずっと続けてきていた私にとっては本当に切実で本当にありがたいことだった。


それなのに、つい最近までの私は「結婚して安心して安定してしまったから、私は妥協して夢を叶えようとすることや成長することをやめてしまったのだ。本当は、実は、わたしは結婚の犠牲になったのではないか。」

などと、アホみたいに思ってしまっていたことがあった。
(会社なんて夫に相談なしである日突然辞めてきたくせに。)

なぜなら、世間では「社会で女性が活躍すること」こそが大切で「それを男性が制止している仕組みはおかしい」という言説ばかりを目にしてきたからだと思う。


そのことにずっと囚われてきたからこそ、今まで決して妥協をしないような(社会で活躍するべきだという点においてのみ)生き方を選んできた。

そして今でも友人や周囲で活躍して輝いて見える女性に遭遇すると勝手にひとりで自己嫌悪に落ち入り、なぜかうまくいかない自分に涙することもあった。周囲から、「もったいない」「せっかく何年も」「などという、心無い言葉を投げかけられては傷ついたことは何度もある。

「Fumiは、もう、自分の大切なことを犠牲にしない生き方をするって選んだんでしょ。誰もあまり選んでいない道を進むのは、先に道がないんだから時間はかかるけど、今までよりも、きっとずっと楽しいよ。」

ある時、私が涙で目を腫らしていた時、夫がわたしにそう言った。

夫の方も本当に偶然だが14歳でアメリカに留学していた。

(彼はSan Franciscoだった。)中学卒業と同時に全寮制の学校に通い、最終的には東京で長く設計士として働いた。
私と時をだいたい同じくして(これも偶然だが)私と同じ地元にUターンして、3代続く家業を継ぐという決意をした。それは、これまで彼が情熱を掲げてきた領域とはほとんど違うものだ。それに地方なので会う人も、仕事の内容も何もかもが勝手が違う。都会での刺激もないし決して口にはしないが不満もあるはずだ。この選択は本来、彼自身に全くそのつもりはなかったのだが、ある意味で運命に翻弄されてそうなったのだ。

彼自身の歩いている道もまた、ある意味で道なき道なのだ。そして彼は長男で、彼の家族の会社は自分の苗字がついた社名であるにかかわらず、彼は私を尊重して自分の苗字を捨て私の姓を名乗ることを躊躇なく選んだ。

「名字が変わったからって僕は何も変わらないよ。むしろ僕は僕で名前のしがらみがなくなったと思うんだ。」



パートナーシップというと、つい問題点や我慢しているところにばかり目が向いてしまう。もちろんそれだって重要な事なのかもしれない。でも、世の中の常識やあるべき形などそれぞれに違っていて当たり前だしそれこそが多様な選択だ。

相手がいてくれたから、自分が「変われた」ことを決して忘れてはいけないと思った。

それは別に夫婦に限った話ではなく、あらゆるパートナーシップにおいて言えることだと感じる。

まあ、今これをこんなふうに書けているのは、たぶん、今現在夫が長期出張で久々のひとり時間を過ごしているからだ。笑

一人も気楽でいいなーと思いながらも、二人暮らし用の家でたったひとりになってみると、彼がいつも垂れ流して聴いてて、正直「うるさいな」と思っているF-1の解説動画の音さえも、不思議と恋しくなってくるものだ。

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