地方の魅力は比較からは生まれない、という仮説
先日、あるツイートをしたところ、反応を複数の方からいただいたので、ここで一度整理しておこうと思う。
「地方創生」という言葉の違和感の話である。
「地方創生」における「すごい合戦」
「地方創生」から思い出されるのは、観光資源やPRイベントのイメージである。
外から「すごい」と言われることに重きを置き、地域の外側に「自分の地域ですごいこと」をアピールしようとする。
すると、「他の地域よりここが優れている」「全国No.1」というように、他の地域と比較した価値ばかりが押し出されていく(わたしはこの現象を勝手に「すごい合戦」と呼んでいる)。
でも、そもそも、他の地域より優れているものがあるから、その地方が魅力的に感じられるのか?
答えは、NOだと思う。
地方の価値は比較で測れるもんじゃない
たとえば、枝豆生産量No.1です!と言われても「量が多いだけでおいしくはないんじゃない?」と魅力を感じない人もいるだろう。
逆にNo.1じゃなくても、”そこでしか食べられないおいしさ”という価値があれば、その地域にしかない魅力になりうる。
魅力は比較や数字で図れないはずだ。
人々の営みだってそうだ。
人々の気質、温かみ、人的ネットワーク、文化、さまざまな切り口があるが、人々の営みの積み重ねのようなものはデータには表れない。
でもたしかにそこにある。
ひょっとすると、都会生まれ、都会育ちの人にとっては「田舎には何もない」が魅力になることだってあるかもしれない。
それなのに、地域の内側の人たち(特に田舎の人たち)は「どうせここは田舎だからなんもないのよ」と冷めたように話す。
比較価値に偏り過ぎている現状を見たら、そんな言葉が出てきても仕方ないと思う。仕事もないし、観光資源すら怪しい現状で、どうしても栄えている場所と比較してしまうもの。
実際、自分も田舎にいたときは、そう言っていた。
都会に出てきて、田舎でしか得られないものがあるとわかっているのに、今も不意に「いや、地元、なんもないですからね」と口に出してしまうときがある。
本当は地元が好きなのに、他の地域と比較してコンプレックスに思う、思春期の恋愛みたいなひねくれた好意が、とても恥ずかしい。
そう、実はわたし自身も比較価値に押し潰されそうになっている。
もっとストレートに、地元を好きになりたい。
そうしたら、自分のふるさとをアイデンティティとしてもっと誇れるのに。
田舎者の自分のことも、もっと肯定できるかもしれないのに。
地方の魅力を届けたい相手は、外側の人だけなのだろうか?
そんな思いで、冒頭のツイートをした。
すると、なんとブランド・ストラテジストのいっぽさんが、リツイートしてくださっていた。
「添加」している、と。
たしかに、「すごい合戦」は、本来もっと魅力になるべき部分の核心に触れず、表層をなぞっているだけ。
ブランディングという視点で見ると、もっと純化した魅力を掘り起こす必要がありそうだ。比較しなくても存在し続ける、固有の魅力はたくさんあるはず。
同時に、もう一つの疑問が生まれる。
そもそも、地方の魅力を届けたい人は地方の外側の人だけなのか?
内側の人にも、届けていかないといけないんじゃないだろうか?
内側で「なんもない」と言い続けていたら、そりゃ外側の人間にも魅力は伝わらない。
わたしみたいに、ストレートに好きと言いたい、でもうまくいかない、そんな人は他にもいると思う。
内側の人たちが自分の住む場所を好きにならないことには「地域創成」は始まらないのだと思う。
だから、外側ばかりに目を向けていないで、内側への働きかけも大事なのではないだろうか。何様だよって話だけど。
「創生」の意味を考えてみる
「創生」の意味を辞書で引くと「既存のものに新たな価値を作り出すこと(三省堂新明解国語辞典より)」らしい。
そもそもばかりで申し訳ないが、また使わせてもらう。そもそも新たな価値を作り出さないといけないのか?
まずは、今ある見過ごされている価値にスポットを当てていくのが先では?
「創生」という言葉にモヤモヤする。もっと的確な言葉が欲しい。
そう感じていたら、SNS運用&ブランディングに携わるいっこさんから、あるアイデアをいただいた。
「まちづくり」。
おっと、言葉のチョイスひとつで印象が全然違うな……。
「地方創生」「地方活性化」「まちづくり」。
言葉を言い換えれば印象は変わるけど、いっこさんも言っているとおり、モヤモヤは晴れない。
創生以前に、地方都市消滅のシナリオも頭をよぎる。
実際、祖父が住んでいた集落は消滅している。地元の学校が廃校になった友人を何人も知っている。じわじわと、でも確実に人がいなくなっていく。怖い。
地方住人は、みんながみんなではないけれど、生きるか死ぬかの大勝負、ぐらいの危機感も少なからず抱えていると思う。
今、なにができるだろう?
外側から見た田舎、内側から見た田舎、どちらの視点も持っている自分だからこそできることがあるのではないだろうか。
そんな思いもあるが、いまのところ、形にはなっていないのがもどかしい。
それが本屋という形で表出するか、また別の形で表出するのか、まだわからないけど、これからも地元への愛をもって「地方が持っている価値」を探り続けたい。そう思っている。
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