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げんじつ

愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ。

先人や他人の失敗や成功から生きる術を学ぶ。

だから私たちは歴史を学ぶ。ニュースを見る。
法が立ち、変化していく。

それがあるから私たちは今こうして生活が成り立っている。

"2度と同じ思いをする人を生まないために "

世の中は他人に優しい。

その優しさと悔しさと痛みが痛いほど流れ込んでくる。

あやまちが生まれた点から周囲に広がる悲しみ苦しみが、かたちは違えど私の中で燻る。

悲しい。辛い。悔しい。

スマホを開くたび、無秩序に流れ込んでくる情報。
いま、私の目前にない事実に伴う感情が燻る。

やけに苦しい。

だけど目を背けたらずるい気がして。
私の幸せだけを見つめていたらずるい気がして。

こんな調子で1日に何度こんな感情と向き合っているんだろう。


そう思ってふとスマホから顔をあげると、
電車の窓越しに、くたびれたスーツを着たサラリーマンが前に立っている女性に席を譲ろうとしている様子が目に入ってきた。

こんなニュースが世の中に溢れればいい。

勝手に目に入ってきて、勝手に心がじんわり優しくなるような。

大それたことでなくてもありふれたことでも
そんな小さな幸せは何よりも尊い大ニュースだ。

そんなニュースも、不安燻るニュースと同じくらい世の中に溢れればいい。いや、同じくらいじゃなくて、だいぶ多いくらいがいい。

そうして分け合って伝播した優しさで
全ての人の笑顔が少しだけ増えたりしないだろうか。優しさが増えたりしないだろうか。


そんなことを思いながら
そう上手くはいかない現実を踏みしめて
明日も私は小学校の授業参観で原爆の恐ろしさについて授業する。

"2度と同じ思いをする人を生まないように"

こんな恐ろしいことがあったんだよ。
人間が人間をこうやって傷つけたんだよ。
こんなに苦しい人たちがいたんだよ。

そうやって小学生をおどす。

最後に無責任に投げかける。

さぁ、今、私たちに何ができるだろう。

答えはまだ知らない。


愚者に逃げたい。
きっと賢者は賢いだけでなく強い。

私はどう足掻いても賢者にはなれないのだろう。

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