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2021年5月の記事一覧
耳にあたらしい名前、その好例と悪例。
エナジー系、と呼ばれるドリンク類がある。
薬局で販売されるものではなく、ただの炭酸飲料だ。そして飲んでみたときの味としては、オロナミンCに似た感じの飲みものだ。それでも元気ハツラツのオロナミンCがエナジー系と呼ばれることはなく、たぶんレッドブルの国内版発売以降に定着した用語だと思われる。
発売当初のことは知らないものの、昭和の終わりにあってオロナミンCは、完全におじさんの飲みものだったと記憶し
「これから」を変える2日間。
5月最後の金曜日です。
週末をはさんだ月曜日はもう、5月のつごもり。すなわち31日ということになります。毎月やってくるみそかの報せをわざわざここに書いているのはそう、バトンズの学校こと「バトンズ・ライティング・カレッジ」の応募締切が5月31日だからです。
すでに複数のご応募が届きはじめています。選考に公平を期すため、課題作文はまだ、ひとつも読んでいません。6月1日から順次、読み進めていきたいと
物書きたちの逃げ道。
最晩年のニーチェに、『この人を見よ』という作品がある。
最後の著作でもある本書は、彼の自叙伝だ。自叙伝だということはつまり、タイトルにある「この人」とはニーチェその人である。ヨハネによる福音書からの引用でもある「この人を見よ」は、「おれを見ろ」なのだ。その目次に並んだことばからして、もうすごい。
・なぜわたしはこんなに賢明なのか
・なぜわたしはこんなに利発なのか
・なぜわたしはこんなによい本を
暑くなったら考える。
天気予報によると明後日、ガクンと気温が下がるそうだ。
けれどもきょうの陽差しと気温はもう、夏である。プール開きしたってかまわないくらい、夏である。こういう暑さ寒さの厳しいときにぼくは、むかしの人たちのことを考える。いや、むかしはこんなに暑くなかったとか、地球温暖化だのヒートアイランドだのの話はいったん横に置く。むかしの人はむかしの人なりに、自分の人生でいちばんの暑さや寒さを経験していたのだ。
大学に入りなおしたつもりで。
大人になってから何度か、大学に入りなおしたいと思ったことがある。
大学院に入るのもいいけれど、それだとちょっと短く感じられる。どこかの4年制の大学に、もう一度入りなおしてみたい。そう考えてけっきょく実行に移さないまま終わったのは、ひとつに本気度の不足が挙げられる。「入れたらいいなー」「いまだったらたのしいだろうなー」と、ディズニーランドに行きたがる子どもくらいの気持ちしかなく、そこまで本気ではな
書かない人は、書けない。
ああ、この話はあんまりしてこなかったかもしれない。
いまからちょうど25年前、ぼくは福岡にあるちいさな出版社の門を叩いた。自社刊行物はあるものの、売上のメインはビジネス雑誌の企画記事、その編集業によるもので編集プロダクションと言ったほうがいい会社だ。大学を出たあとのぼくはメガネ店に就職し、1年ほど務めたあとに退社。そのまま実家暮らしの無職男としてぶらぶら過ごし、先輩のインディーズ映画制作のお手伝
5年って長いよなあ、というお話。
『ミライの授業』の重版見本が届いた。
刊行からちょうど丸5年。区切りのよい20刷目の重版だ。部数も十数万部を超え、いまでもたくさんのあたらしい読者がこの本と出会い、つまりは瀧本さんと出会っている。
前にも書いたことだけれど、ぼくに「学校をやるべきだ」と最初に言ってくれたのは瀧本さんだった。投資家だった瀧本さんにとって、教育はなによりも大切な投資だった。教育を通じて瀧本さんは、「ミライ」に投資を
リモート会議に欠けているもの。
考え途中のメモ書きとして。
きのう、とある企画の打ち合わせがあった。オフィスの会議室で、顔を合わせての打ち合わせだ。予定(予想)していたよりも短い時間で、とてもスムーズにそれは終わった。このスムーズさはなんだろう。この気持ちのよさはなんだろう。打ち合わせの終盤から、ぼくは考えはじめた。
なるほど、こういうことかもしれない。——自分なりの暫定解にたどり着いたのは、打ち合わせが終わってから小一時間
質問と相談はぜんぜん違う。
質問に答えている。
バトンズの学校、batons writing college の告知も兼ねて、学校の番外編みたいな感じでさまざまな質問に答えている。運営スタッフのI氏から「こういうのやりましょう!」と提案を受けたときには、負担も大きそうだなあ、と思ったものの、いまのところ心的負担もほとんどなく、淡々と質問に答えることができている。
学校や応募に関する質問もあれば、
すみません、完全にこち
金髪とスニーカーのブルース。
金髪だった時代のことを思い出す。
二十代の終わりごろ、ぼくは金髪だった。金髪の誰かにあこがれて染めたのではない。平々凡々たる風体なので、せめて髪の毛だけでも金色に染めておけば「ライターの古賀さん? あー、あの金髪の人ね」みたいな感じで編集者に憶えられたり、話題に上がったりするのではないか、との浅知恵による染髪だった。ところが実際に金髪にしてみると、取材先——当時のぼくは経営者さんに取材することが
インタビューという場が持つ可能性。
何年か前に、こんな note を書いた。
ぼくは「言いたいこと」をあまり持っていない。
たとえば「いま国会を賑わせているあの問題について、お前はなにも言いたいことがないのか」と問われたら、たぶん「ない」と答える。なんと嘆かわしいやつだ、お前のような人間がいるからこの国の民主主義は……とかなんとか言われても、ないものはない。「言いたいこと」は、ないのだ。
ただし、「思っていること」はたくさんあ
たったひと晩の冒険。
寝台列車、なるものにぼくは乗ったことがない。
松本零士さんの傑作『銀河鉄道999』の影響もあり、ぼくが子どものころ、寝台列車は大人気だった。それは「ブルートレイン」と呼ばれ、その音の響きもまた、ぼくは好きだった。どこか遠くへ旅すること。列車のなかで食事をとり、夜になれば眠ること。朝に目を覚ますと、見知らぬ土地を走っていること。ブルートレインにまつわるすべては、夢のなかの物語のように思われた。当時