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美容クリニックで顔のほくろを全部取ったお話



今日、仕事終わりにクリニックに寄って、
顔と首のほくろを全部とった。

大きさは大中小あるが、
およそ60~70個ほど取った。

つまり、60~70回、顔に麻酔を刺されたということだ。唇やほっぺに針を刺されるのは痛かった。

泣きそうだった。みんなこの痛みを乗り越えているのか…と尊敬した。

施術が終わり、
顔にはテープがいっぱいになった。

1週間は家に引きこもって回復に専念しようと思う。

テープの数すごいね…





もともとほくろが出来やすい体質であり、
小さい頃からコンプレックスであった。

コンプレックスになったのは、
小学生の頃、同じクラスの男の子から「ほくろが、1つ、2つ、3つ~~~10個もあるやん」みたいに言われていたことだと思う。

たまらなくイヤだった。

やはり、幼少期の記憶は大人になった今でも根強く残っている。悲しいことに。



大学を卒業してからは、帰省する度に祖母が「さらに顔にふすべが増えたんじゃない?」みたいなことを言ってくるのだが、それもたまらなくイヤだった。

自分でも自覚しているのに、わざわざ口に出して音にされると、傷つく。


そもそも、高校生の頃から自分の容姿に自信が全くなく、身長が低いこと、つり目であること、ほくろが多いこと、どれも自分の自信をなくす要因であった。

ただ、コンプレックスに対して向き合うことから逃げてきた人生であったと思う。


鏡をあまり見なかったり、
(ネガティブになるのを避けるため)
「どうせ自分なんかが頑張ったところで…」と卑屈になって、コンプレックスに対して何か行動を取ることはなかった。


何も行動しないのに、
かっこいい友達が羨ましかったし、
かわいい子も同様に羨ましかった。

「遺伝子が違う」とか「ポテンシャルが違う」とか勝手に決めつけて、その裏にある努力を見ようとしていなかった。
(残念ながらポテンシャルは存在しているが)



勝手に羨んで、諦めて、絶望していた。


そんなことを感じていたから、
写真を取られることが恥ずかしかった。

何より、自分を磨くことに対して逃げていること、努力していないことが恥ずかしかった。


だけど。
この20代というプライスレスな時間を、
"外野から"眺めているのは、もうイヤだった。



だから、変わろうと思った。
20万は全然安くない。お財布が痛い。

けど、変わりたいと強く思ったから。
コンプレックスと向き合おうと思ったから。
お金は惜しまなかった。

コンプレックスが少しでも解消できるのであれば、全然安いものでしょ。とも思った。




このご時世、美容施術はスタンダードになりつつあるように感じる。

僕がほくろを取ろうとしているという話をしたら、女友達の複数から「私も取ったよ」と返された。

彼女にも「ホクロ取るから顔の印象変わるよ」と伝えたら、「実は私も2年前に取ったよ」と言われた。

一世一代の宣言だと思っていたのに、
なんだ。みんなシレッとやってたのか。
だったらもっと前に教えてくれよ。
僕は、こういう選択肢があるということも全然知らなかったのに。



それにしても痛かった。
変わることは痛みを伴うことだと知った。
この痛みを乗り越えた同士を純粋に尊敬する。

ただ、痛みは前に進むためには必要で、
施術中は期待感で溢れていたように思う。

さて、変わるということは、簡単では無いことは、多くの人が証明している。
変わるために、日常生活で意識できることはたくさんある。

例えば、日焼け対策。
日焼けはメラニンが増えるし、蓄積する。
ちゃんと日焼け対策しなきゃな、
25年生きてきてようやく感じた。

例えば、洗顔。
ティッシュで顔を拭くとか、
こすらない、のも大事ですよね。

ようやく、1歩進めた気がする。

自分のコンプレックスに向きあい、
自分とちゃんと向き合っていこうと思う、。

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