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夜とはちみつ

知らない道を歩く。坂の多いこの町は、葉脈のようにいくつもの道が枝分かれしていて、簡単に迷い道に入っていける。

行き止まりでもあればまだいい。あきらめて引き返す決心もできる。なのにそれもなく永遠に知らない道がくねくねと続く。小さな角を曲がろうかというところに不意に立て看板。だけど斜めってる。


 『気をつけよう
    甘い言葉と 夜の道』

そうか。気をつけなければいけないのだ。秋の夕暮れは速い。使い古された黒いデニムみたいな闇が少しずつ空に幕を張っていく。

とくに何も起こらないまま、ずんずんと時は進む。沈黙する道。もう辺りはすっかり闇になり、だんだん、夜の道より甘い言葉が気になってくる

甘い言葉ってどんなのだろう。いままで誰かに甘い言葉をかけたことも、かけられたこともあまりない。

        ***

わざわざ看板を立てるくらいだから、甘い言葉と夜の道はグルなのかもしれない。だけど、どうグルになっているのか、ふたりの関係が想像できない。

夜の道が物理的に危険なことは、なんとなく理解できる。問題は、甘い言葉だ。イメージがわかないことには注意を向けにくい。

仕方ないので、きっと甘い言葉はこんなのだ。


夜道で突然、知らない人が颯爽と現われる。甘い言葉を持ち歩くくらいだから、当然、顔も甘い。

「お嬢さん、よかったら僕の魔法の絨毯でお家までお送りしますよ」

……甘い…のか? いや、甘くない。むしろ怖い。気をつけるまでもないんじゃないか。そういう甘さへの注意を呼びかけているのではないみたいだ。

さらに角を曲がったところで、誰かがささやく。

「お嬢さん、よかったら僕とこのはちみつ、ちゅうちゅうしませんか?」
 
男は、とっておきの一瓶を目の前でとろりと揺すってみせる。

……これだ。甘くて危険だ。ふたりではちみつの虜になってしまったら家に帰れなくなってしまう。

        ***

ようやく、甘い言葉と夜の道の危険性を理解した僕は、独り言みたいに歌いながら夜の道を歩く。
 
はちみつはちみつ甘くて危険なはちみつ夜の道――。