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「嫌われる自分語り」と「嫌われない自分語り」は何が違う?

自分語りは嫌われる。「私ってこうじゃないですか、だからこの前も」とか「俺に言わせればそれはこういうことで、昔さあ」云々みたいな話を聞かれてもないのに語り始めると「出たよw」みたいなことになりがち。

まあ、そうなってしまうのは「お前の浅い経験談とか別にいらないから」という文脈があるからだけど。

それでも人に取材するということを仕事にしてると、ときどき「聞き入ってしまうような自分語り」に出会うことがあるんですよ。

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この前も、元技術責任者で現役引退して何十年という人生の大先輩に話を伺ったのだけれど、その人の武勇伝がいろいろすごかった。

詳細はあれなのであれだけど、昔の『プロジェクトX』みたいな話。


たとえば、こういうの。日曜日に朝起きて、突然嫌な感じがしたので工場に車を走らせると、そこでは新製品の最終試験を行っていて、そのデータがとても品質を満たせるものではなかった。

実は営業サイドがどうしても売上アップのためにリリースを急がせていて、経営陣には都合のいい報告しかあげてなかったのだ。その人は「こんなものを出したら信用問題で会社がつぶれる!」と社長に直談判。

営業担当役員は自分のメンツが丸つぶれで激怒。その人はクビを覚悟して奥さんにもそう言った。すると案の定社長から呼び出しが。潔くクビを言い渡されるつもりで出向くとまさかのひと言。

「君を今度取締役にすることにしたよ」

社長は「あの状況でよく本当のことを言ってくれた。現場も引っ込みがつかなくなってたところに君があえて悪者になってくれなかったら会社は危なかったよ」と。


とか、社員旅行先で観た仏像にヒントをもらって世界各国で特許を取った話とか、なにそれな話が次々と。

こういう話って一つのことを話してもらってるうちに、いろいろ思い出してまた新しい「まさかの事実」が出てきたりするんですよね。

トータルすると壮大な自分語りなのに聞いてて嫌ではないのはなぜなのか。

たぶん要素としては、この3つをクリアしてるからじゃないのかな。


(1)本人はべつにすごいとは思ってない
(2)そのときの事実しか言ってない
(3)押し付け感がない


自分語りはNGと言われてるけど、じつは全部がダメなわけじゃなくて周りと共有できるものもあるってこと。

これ、何かに似てるよなと思ったら、あれでした。高田純次さんが以前、情熱大陸で言ってた「歳とってやっちゃいけないこと」の3つ。

「説教」「昔話」「自慢話」

すごい人はやっぱり本質的に共通点があるわけです。


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