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真夏のコルトーナ

 空はどこまでも青く、強い陽射しに目が眩む。日陰に入れば思いのほか涼しく、空気が澄んでいて朝晩は爽やかで過ごしやすい。ああ・・・イタリアの理想の夏がここにあった。
 トスカーナ州の丘の上にあるコルトーナ。イタリアに来たばかりの頃からずっと行きたいと思っていたのが、ようやく叶えることができた。ローマからフィレンツェ行きのローカル電車で2時間半。そこからさらにバスに乗り換えて20分ほど。少しでも乗り継ぎの良い時間を選んで、頑張って早起きして、午前中のうちに到着した。
 城壁のすぐ外側のバス停で降りて、いきなり鼻先に立ち塞がる急坂にクラクラ。ところが、ホテルまで10分ほどの坂道も階段も、目の前に広がる風景と心地よい風に、全く苦を感じなかった。

急坂の上に町の風景

 ずっと憧れていた、フラ・アンジェリコの「受胎告知」は、司教区美術館に。修道士であった画家の代表作の一つで、フィレンツェのサン・マルコ美術館で見られるフレスコ画の「受胎告知」とよく似た構図ながら、テンペラ画による祭壇画のこちらは、重大なお告げをする大天使ガブリエルと、それを受けるマリアとの会話が、金文字で直接書き込まれているのが特徴。まるで漫画のよう・・・。そしてじっと見ていると不思議なことに、本当にキラキラと繊細な彼らの声が聞こえてくるような気がする。ほんとうに、ただただ、美しい。ああ、やはり来てよかった。

フラ・アンジェリコの受胎告知

 今回のもう一つの目的は、アッカデミア・エトルスカ美術館で開催中の「シニョレッリ500」展。ルカ・シニョレッリは、このトスカーナを中心に花ひらいたルネサンス美術の立役者の一人で、今年没後500年に当たる。ヴェネツィアで美術史を学んだ時に、教科書に出ていた彼の作品は、お隣ウンブリア州の小さな町、オルヴィエートの大聖堂のフレスコ画だったのもあり、彼がコルトーナ出身で、ここで生涯を閉じていたとは知らなかった。

シニョレッリ展 内部は撮影禁止


 イタリアの、少なくとも北部から中部の町はたいがい、芸術家や文学者などイタリアの歴史の中でも重要な、つまり教科書に出てくるような人物を一人や二人は輩出していて、そんな地元の有名人を大切にしている。生誕、没後X年といった記念の年に、例えば画家や彫刻家なら本格的な回顧展が開催されることも多く、それに合わせ関連の作品を何年も前から修復にかかったり、展覧会に合わせてシンポジウムを開いたり、と単なる一時的なイベントに止まらない、将来につなぐための活動となる。もちろん、そうした展覧会などのイベントを目指して人がやってくるから、町おこしとしての役目も大きい。

セヴェリーニのアトリエ再現

 行って初めて知ったのだが、コルトーナは、20世紀初頭、イタリア未来派を代表する画家の一人、ジーノ・セヴェリーニの出身地でもあるらしい。シニョレッリ展を見に行ったアッカデミア・エトルスカ美術館の一角に彼のコーナーがあり、モザイク・マニアの私も、迂闊にも全く知らなかったのだが、なんと彼はモザイクによる作品も手がけていたらしい。1947年、先の大戦で美しい小さな町コルトーナが戦火を逃れたことを、守護聖女である聖マルゲリータに感謝するため、当時の司教からセヴェリーニに「十字架の道行き」の14の場面の制作が依頼された。
・・・そういえば、最初にフラ・アンジェリコを見に行った司教区美術館に、セヴェリーニによる「十字架の道行き」が、それぞれ額に入れて、ただ廊下というか階段の壁にギッシリと展示されていた。何かの下絵だろうか、地元の画家の作品のため、そうして置いてあるのだろう、とあまり深く考えなかったのだが、まさかモザイク用の下絵だったとは!アッカデミア・エトルスカ美術館には、デッサンが一部展示されていた。

司教区美術館に飾られたセヴェリーニの下絵

 そうなると、マニアとしてはやはり、そのモザイクを確認せずにはいられない。本日は見学終了・・・のはずだったところ、ツーリスト・インフォメーションで場所を確認し、夕方の強い西日に打ちのめされながらも、探しに行った。そのモザイクは、町の城壁の内側にあるサン・マルコ教会から、丘の上にあるサンタ・マルゲリータ教会まで上る遊歩道に、その14プラス1の場面を描いたモザイクが、石のスタンドに入って配置されていた。

「十字架の道行き」の道

 翌日。近郊から会いにきてくれた友人と共に、町の丘のてっぺんにある要塞へ。せっかくだし、眺めが良さそうだし、くらいの気分で入った要塞は、その360度のパノラマはもちろんのこと、中で開催していた写真展がまたよかった。これも、もう第13回にもなる現代写真展らしく、会場の利を生かした展示も興味深かったのだが、中でも「L’Africo」という作品群に衝撃を受けた。イタリアのつま先側の南端、カラブリア州のアフリコという村で1948年に撮影された写真では、ヤギや豚、鶏などの家畜が人々と同じ、狭く暗い室内で暮らしており、皆ぼろを纏い、子供たちは裸足。その中でパンを焼き、機を織り、学び、寝ているのだった。当時のネガがアーカイブに保存されていたものらしい。ネオリアリズムの映画そのもの以上の現実を写した、モノクロの写真の中で、結婚式らしい、一枚の写真が目をひいた。俳優のようにちょっとイケメンの新郎に並んだ、純白の花嫁姿が光っていた。

城壁の上から


写真展の一部
瓦礫のような町の新郎新婦


 友人と共に、前日の「十字架の道行き」の遊歩道を降りた。たくさん歩いて、上って下りての後のランチは、とびきりおいしかった。

27 ago 2023


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