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自分で創り出した恐怖に負けない

人を苦しめるのは、多くの場合、事象そのものではない。事象に対して自分で勝手にイメージして創り出した想像が恐怖であり、苦しみのもとなのだ。と思っています。

「これをして、こうなったら嫌だな」「これをしても、うまくいかないかもしれない。そうなったらショックだな」

などと、事象そのものよりも、それについて、あーでもない、と想像している内容にダメージを受けることが、実はとても多いのではないかと思うのです。

なぜ、このテーマで書こうと思ったかというと、

井上咲楽さんが東京マラソン完走後のインタビューで 

”今日はすごく調子が良かった。
走っている途中、調子がいいことががかえって不安になってきたのだけど、起きていないことで不安になるのはやめようと思って、そこからは切り変えられた。
仕事でも、そういう考えになることがあるのだけど、起きてないことに不安にならないように気をつけている・・”

というような趣旨のお話をされていました。

起きてもいないことに精神を消耗してしまう。

他の人はどうなんでしょう。井上咲楽さんもそうやって口にされているので、似たように思っている人も多いのかもしれませんね。

高校生の時、英語の教科書に、アメリカの小説家 アーネスト・ヘミングウェイの「インディアン•キャンプ」という小説が載っていました。

以下、「インディアン•キャンプ」のネタバレがありますので、まだお読みでない方はご注意ください。

主人公のお父さんが医者で、とある女性のお産に立ち会うのですが、かなりの難産で女性が苦しんで、その夫が、妻が苦しむ声を聞いていて、つらくなって自分で命を断ってしまう、というシーンがあります。

まさに「自分の想像力に負けた」ということなんですよね。「妻が苦しんでる」「妻は死んでしまうかも」「子どもは無事に生れないかも」と。

英語の教科書なので、文法や単語が大事なのであり、内容の理解はどうでもいいわけなのですが、高校生の私は「妻がお産で苦しんでるからって、つらくなってお産の最中に夫が自分で死んでしまうって、何?そんな、アホな!」と、内容が引っかかってしょうがありませんでした。

引っかかりすぎて、アラフィフの今でも引っかかったままです。

さまざまな場面で「想像力によって、人は苦しむ」ことを実感するたびに、インディアン・キャンプを思い出します。。

そして「想像力によって苦しんでいるだけなんだ」と自覚して楽になる場面もあるのですが、想像力に飲み込まれてしまう場面も多々あります。

まだまだ、修行中です。


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