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スピッツ「夜を駆ける」と夏


今年の出来事である。
私は旅行に行き、家族と峡谷のトロッコ電車に乗っていた。
目の前に広がる山の緑が今は夏だと教えてくれているのに、肌を撫でる風はとても冷たい。
視覚と触覚のその特別な組み合わせから、私はひとつの曲を思い出していた。

スピッツの「夜を駆ける」。

夏の季節を彷彿させる歌詞でもないのに、私が「夜を駆ける」を夏の曲だと思ってしまう理由が、剥き出しの電車で風を浴びながら、突然わかったのだった。
たしかに夜を駆けていた夏が、いきなり立ち上がってきたのだった。

私は友だちと避暑地のペンションに住み込みのアルバイトに来ていた。
宿泊客の夕食の片付けが終われば、そこからは私たちの自由時間。
評判のお店のチーズケーキを食べにでかけたり、都会よりもちょっぴり周回遅れの曲がかかる古びたディスコに遊びに出かけたりした。
持っていったお金は底を尽き、お金を送ってくれとお母さんに手紙を書いたりもした。
16歳だった。
大人の入り口に立っている気でいた。
けれど本当はまだ子供だったのだと今ならわかる。

同じ年の男の子たちと仲良くなったのはどうしてだったのか、どうしても思い出せない。
最初はナンパされたのだと思うけど、場所もシチュエーションも遥か記憶の彼方だ。
それは残念ながら恋には発展しなかった。
地元の高校生である彼らと私たちは友だちになった。夜にだけ会う友だちだった。

いつもコンクリの地べたに円になって座って話した。
自分たちも何も知らない子供だったというのに、彼らからの恋愛相談に、ちょっと都会から来たお姉さんぶってアドバイスをしたり。
持ってきたジュースと焼酎を混ぜたお酒を男の子の誰かがくれたり。
こうやって書いていると、なんだか危なっかしいなあと思うのだけど、みんな不良ではなかったし、仲が良かったし、楽しかったし、いつかはさよならするとわかっていた。

ある夜、誰かが
「ヤバイ警察かも」と言い出した。
「逃げろ!」
本当にそうだったのかわからない。
けれど遠くの人影から逆方向に、私たちは駆け出した。
紙コップを握りしめたまま、全力で一斉に、みんなで、ひたすらに夜を駆けた。

必死で走ってはいたけど、覚えているのはその時の、高揚している気持ち。
怖さはなかった。
むしろ楽しかった。
青々とした真夏の、避暑地の、夜風は肌に冷たくて気持ちよかった。

今思えば、私たちはその時だけ、細い糸でつながっていたのではないかと思う。
期間限定の一瞬の永遠の自由。
それはよくある赤いやつじゃなかったけれど。
やがてアルバイトが終わる日が来て、住む街に帰り、あの男の子たちとはその後二度と会っていない。

私には今、小学生の娘がいる。
彼女が将来高校生になり、ペンションにアルバイトに行きたいと言い出しても、多分私は許さないだろう。
16歳の私が何事もなく済んだのは、運がよかっただけだともう知っている。
私は大人になってしまった。


見上げた夜空、硬い舗道、壁のラクガキ、冷たいコンクリートの感じ、永遠の自由、甘くて苦いベロの先、遠くの灯り、目と目が合うたび笑う、駆けていく。

スピッツ「夜を駆ける」のすべてが
16歳の夏に繋がっている。

夜を駆ける - スピッツ
(LINE MUSICで再生)

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