見出し画像

「ラテンアメリカ怪談集」

鼓直 編  河出文庫  河出書房新社

西荻窪今野書店で購入。
(2018 02/11)


「ミスター・テーラー」、「火の雨」


モンテローソ(グァテマラ)の「ミスター・テーラー」はこれ買ってから読んだ。首狩ビジネスが首狩られる話。

今日は冒頭、ルゴネス(1874-1938)の「火の雨」。アルゼンチンの作家で、ラテンアメリカ幻想文学の祖みたいな人。ボルヘスもビオイ=カサーレスも彼の影響を大きく受けた。
作品は聖書のゴモラ伝説を題材としたもの。特定はされてないけど、背景はゴモラではなくブエノスアイレスらしい。燃える銅粒が青空のもと降ってくるという…夢落ちとか急に災厄がなくなるということはなくて、街の壊滅と語り手の最期までとことん…

  巨大な静寂。まさに破滅の静寂。鶏がとさかを振り立てるように、五つか六つ、もくもくと煙が上がっていた。露骨なまでの青さは永遠の無関心さを装っていたが、一点の曇りもない空の下で、哀れな町、私の哀れな町は死に絶え、永遠に死に絶え、本物の屍のような臭いを発していた。
(p19)


(2019 02/24)

「彼方」ほか

今日は「ラテンアメリカ怪談集」からキローガの「彼方」キローガはウルグアイの作家。7巻にもなる膨大な短編を残した。近親者に自殺した人が多く、死のオブセッションをテーマにした作品も多く、この駆け落ち自殺した女の語りの作品もその一つ。
(2019 03/11)

今日は「怪談集」の中から 四作目・五作目の、ボルヘス「円環の廃墟」、アストゥリアス「リダ・サルの鏡」。後者なんだけど、もうそろそろ10年前になる「グァテマラ伝説集」読んだ時の語り口に似ていた。
(2019 03/13)

「ポルフィリア・ベルナルの日記」、「吸血鬼」


火曜日オカンポ「ポルフィリア・ベルナルの日記」、今日の帰りにムヒカ=ライネス「吸血鬼」読んで文庫本半分くらい。前者は未来を描く日記、そこに猫に変身すると書かれた女家庭教師は…
後者はあまりに吸血鬼らしい男爵なのでみんな本物の吸血鬼だとは気づかなかったというもの。冒頭で「いつまでも終わらない小説を書いている」とあってちょっとだけ文学論になっていた。
その箇所。

 そこでは、見事なまでに徹底して事件らしい事件が起こらず、冷徹で博識極まりない亀がペンをもって書きでもしたように、万事に悠長な登場人物たちのひとつひとつの身ぶり、態度、行動、歩み、動作を、あるいは作品の中に取り入れたいろいろな事物が作り出す影やほの暗い陰影が、サディスティックなまでに詳細に描き出されていた。
(p119)


この「終わりのない小説」、吸血鬼そのものの男爵が書いているというし、作品自体は事件盛ってるし、作者の皮肉が8割くらい…なのかな。
(2019 03/28)

「魔法の書」


アンデルソン=インベルの「魔法の書」。最初アイヴァスの「もう一つの街」を連想させるようなこの世の書物ではないような本屋を古本屋で見つける。だんだんこの「終わりのない本」読書イコール生きることになってきて、ボルヘスの世界やカフカの掟の話にも近づく。この作家は批評家としても名高い人らしいので、読むこと、書くことの新しい展開をにらんでいるのでは。

  目でもって書き、同時に読んでいるのだと確信した。要するに、彼自身が主人公だと確信した。結局、殺人事件の犯人は読み手自身に他ならない推理小説ー誰も考えつかないような完璧なものーの主人公のようなものだと……。
(p191~192)


(2019 03/29)

「奪われた屋敷」、「断頭遊戯」、「大空の陰謀」

「ラテンアメリカ怪談集」に収録の「奪われた屋敷」(鼓直訳)は、前に読んだ岩波文庫版「コルタサル短篇集 悪魔の涎・追い求める男」(木村榮一訳)での「占拠された屋敷」とたぶん同じだと思うのだけど…この時読んだのとなんか感触違う気も…この「怪談集」、ここからパスの「波」、ビオイ=カサーレスの「大空の陰謀」と続くので、こういう再読に関する悩ましいエトセトラ?がまたあるかも?

「断頭遊戯」から「大空の陰謀」へ
「ラテンアメリカ怪談集」…怪談というより、幻想短篇集という感じなのは、後書きで編者自体が認めているのだが…レサマ=リマの「断頭遊戯」は自分にとって初だけど(たぶん作家自体)、あとの3作は前に読んだことある再読作品。でも、「奪われた屋敷」と「大空の陰謀」は訳者違うんだよね。
今のところはここまで。
(2019 04/02)

再読「大空の陰謀」
訳は安藤哲行氏。
たぶん、前には引用していないと思われる細かいところを引いてみよう。

  ロイド・ジョージとウィリアム・モリスの胸像も同じで、その二つは、かつては、私の楽しい怠惰な青春時代を眺めていたが、いまは、私を見つめていた。
(p246)


眺めると見つめる、どう違う?

  政治学と社会学は隠秘学に隣接するものだからだ。
(p271)


とりあえず…意味があるような…
前にこの短編読んだ時には、移民国アルゼンチンということを書いたような気がするけど、今回は消滅したまたは拡散した民族が頻出するのが気になる。アルメニア、ウェールズ、そしてカルタゴ…
あと、複数世界の古典文献を紹介するのがそもそもの発端かも。デモクリトス、キケロ?  ブランキ??
(2019 04/03)

「怪談」意図再考、ほか


昨夜、ムレーナの「騎兵大佐」を読んで、この短編集もあと2作。

この短編は後書きの「あの世の作家たちの会合」?によると、どうやらこの「ラテンアメリカ怪談集」という企画を監修者鼓氏に思いつかせた作品であるらしく、確かに名短編という趣なんだけど、「怪談」の典型かといわれるとそうでもない気も・・・
というわけで、ここいらでこの「怪談」という(日本人の)イメージで括った(幻想短編集とか銘打てば何も問題ないかとも思うのだけど(笑))意図と読後感をも合わせつつ、初見の作家も多かったこの短編集の、あくまで(作家単位ではなく)個々の作品が他の誰かに似ているかなどという大雑把な振り返りをしてみたいと。そうすることでボルヘス、コルタサルなどのお馴染みの作家にも新たな側面が見えてくる・・・かも。


(一般的)日本人が「怪談」と聞いてぱっとイメージする、なんというかじめじめした(笑)ものになんとか合うのではと思う作品を探してみると、キローガ、オカンポ、アストゥリアスぐらいかなあ。オカンポはこの作品集中唯一の女性作家なんだけど、夫のビオイ=カサーレスよりはなんとなくコルタサルに近いのかな。ちょっとだけウェットなところが、「奪われた屋敷」やうさぎが口からたくさん出てくる作品でも垣間見れるコルタサルの性的な何ものかと合うような。アストゥリアスは作家個人というよりマヤの語り口が日本の怪談と呼ばれるものに通じているのかも。

ムヒカ=ライネス「吸血鬼」は確かに素材は怪談ものなんだけど、コメディタッチで映画という道具立てからスパーク「寝ても覚めても夢」を思い出したし(ちなみに自分的にはかなり好み)、アンデルソン=インベルの「魔法の書」は前に書いた通りアイヴァスの「もうひとつの街」(もちろんボルヘスとも通じるけれど)。アンデルソン=インベルは後書きの「会合」でボルヘス?が言っているように「これからどんどん紹介され」たのかな?

「断頭遊戯」レサマ=リマは「キューバのプルースト」らしいけど、それは作風というより喘息を患って閉じ籠ったという生涯が似ているのであって、この作品自体は過剰な装飾的語り口は同郷のカルペンティエルと似ているけれど、テーマというか方向性はそれよりボルヘスなのかな。
監修者が(意識的に)抜いてしまったそのカルペンティエルは「魔術的リアリズム」の代表格なんだけど、ボルヘスとかレサマ=リマ等ここに出てきている他の作家と比較すると確かに「リアリズム」、現実世界を描くことに行き先が向いている気が自分にはする(マルケスもそうか?)。

パスの「波と暮らして」は、この作家にしては珍しくなのかどうかはまだ全く見当つかないが、自分には意外にもコメディタッチ(それもアメリカンな)。一番初めに読んだモンテローソの「ミスター・テイラー」はチャペック「山椒魚戦争」を別の道具立てで短く書いたと言ってもいいかとさっき思った。で、昨夜読んだ「騎兵大佐」は、怪談とか幻想よりもマンの「マリオと魔術師」を思い出した。なんか魔術とか魅力とかで人々に影響を与えて同じ方向を向かせる、というテーマ。

ボルヘスは何に似ている? あるのかな、あるとすれば幼いころから読んでた英文学の伝統からなんだろうけど、そっちはまだ自分の脳内地図には薄い分野・・・それと、さっきの魔術的リアリズムとボルヘス等の幻想文学の差異なんだけど、ここを徹底的につっこむと、先住民の世界観と旧大陸からのスペインキリスト教的またイスラーム・ユダヤ的、はたまたケルトなどの古層も含めたものの文化人類学的、宗教文化的考察まで行き着きそう。
あと、残すはフェンテスとリベイロ。
(2019 04/05)

春と亡霊


昨日、「ラテンアメリカ怪談集」残っていたフェンテスとリベイロの2作品読んだけど、この2作は結構「怪談」っぽい。前のキローガ、オカンポの系列に並べてもよい(あくまで作品単位)。

フェンテス「トラクトカツィネ」。外がいくら晴れていても中庭はいつも雨、という屋敷の中でナポレオン3世時代のマクシミリアンとその后の亡霊がこだまする、という話。で、引用は…

  いや、メキシコでは誰も気づきはしないのだ。一つの季節は、歩みを変えることなく、次の季節に溶け込んでしまう。いつも〈不死なる春とその兆し〉。
(p313)


メキシコシティの常春の気候は怪談を抹殺するのか、それとも何かに蠢く春がそれを助長するのか。この「トラクトカツィネ」という作品はあの「アウラ」の先行作品だという。

最後にリベイロ「ジャカランダ」。ペルーの作家。どうやらリマから以前住んでいたアヤクーチョに一時戻った主人公ロレンソと同行したイギリス人女性の行動を追っているようだが、現在形の語りのなかでところどころ「オルガが言ったことがある」となんか過去形が挟まる。怪しいなと思っていると、そのオルガはロレンソの妻で亡くなっているということがわかってくる。そこに入ってくるのが先のイギリス人女性ミス・エヴァンズ。

  今ぼくたちは同じところに住んだことがあり、同じ人と出会ったことがあるのでは、と思っています。しかし、それは幻想です。ぼくたちは単に近くを通ったことがあるというだけのことですよ。俗によく人生は道にたとえられるけれど、その道は直線でも曲線でもないのです。強いて言うなら、螺旋状の道というところかな
(p345)


さて、どうかな。
ラスト、ロレンソと抱き合ったのは一体誰なのか?
解釈は(とりあえず)三通り。
その1、先妻オルガ(の亡霊)
その2、(ロレンソはオルガだと思っているが)ミス・エヴァンズ
その3、この瞬間、なんらかの事故でロレンソも亡くなって、向こうの世でオルガに会った

まあ、順当な答え?はその1なんだろうけど、その3ってのも魅力ある。その場合、趣きはキローガの作品に近くなる…

リベイロは「遠い女」にも「分身」が収録されている。幻想味が好きなラテンアメリカ文学ファンだったら、ペルーと言えばリョサではなくリベイロ?
(2019 04/06)

作者・著者ページ

関連書籍


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?