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短編その4 腕フェチ

文字数:3,200字程度
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「聞いてくれよ。この前、バイトの夜勤出てたら大変な目にあってさ」
「なんだよ急に」
 ある日の午後。大学の帰り道にて、友人のタカシが話し出した。
「というかお前、そもそもなんの夜勤やってんだっけ?」
「ファミレスだよ、ファミレス。一応俺、ホールな。まあとにかく、二日前のことなんだけどな。変な客が店に来たんだよ」
「へえ。変っていうと?」
 俺が興味を持ったことに気を良くしたのか、「それがな」と続ける。
「午前五時になる前だったかなあ。突然やってきてさ」
「まあ、客は突然やってくるもんだと思うけど」
「茶々入れんなって。それでそいつ…ひと目見たときからおかしかったんだ」
「おかしいって、どんな?」
 そう問うと、タカシは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。
「見た感じ、二十代後半くらいの女で。美人っちゃあ美人だったんだけど、なんていうか、服装が…えーっと、ゴスロリ?全身真っ黒で、その上白のフリルだらけ。しかも荷物は汚い大きなボストンバッグ、たった一つだけだぜ。それだけでかなりやばいんだけど、特にやばかったのが臭いだよ、臭い。なんていうか…生ゴミみたいな、鼻をつまみたくなるくらいの腐った臭いがしてさ。しかも、どう見たって一人なのに、二人って主張するんだよ。一人じゃないかって言っても『二人です!』って。金切り声まで上げられて、困った困った」
「は、はあ。なんだかとんでもない客だな」
「これ以上騒がれても他の客に迷惑だし、仕方ないから二名様ってことで通したんだけど。臭いし異様な雰囲気だったし、他の客と遠ざけて、死角になる席にしておいたんだ。まあそれでも、俺ら店側としては、早く帰って欲しいねーなんてぼやいていた訳」
 客は客でも、店からしてみれば、なるたけ面倒そうな客には来てもらいたくない。そういう思いがあるのだろう。かくいう俺も、彼の立場ならそう考えるに違いなかった。
「それで?」続きを促すと、タカシはこくりと頷く。
「それから少ししたら呼び鈴が鳴って。そこで、改めて女を案内した席を見たらびっくり、彼女の向かいの席に、大きな人形が置いてあるんだよ」
「人形?」
「うん。動物とか、そういうのなら可愛げがあるんだけど…それ、よくできた、人の人形でさ。それこそ幼い男の子くらいの、等身大の大きなやつ。しかもその女、何だか人形に向かって、ぶつぶつ呟いてんの」
 どうやら彼女のボストンバッグには、その人形が入っていたようだ。
「ぶつぶつって、何を…」
「『我慢してね』とか、あと『腕も綺麗にしないとね』とか。そんでもって、その人形の腕を汚いタオルで必死に拭いていた。…今だから思えるけど、あれ多分、死んだ息子さんを模したものだったんかも」
 なるほど。過去に息子を亡くし、その人形を息子と信じ込む程に、その女は精神が病んでしまっていたという訳か。最初に二人と答えたのも、その人形を息子として、本気で信じ込んでいたが故のことなのかもしれない。
「夜勤は客入りも少ないし、ホールは俺一人でさあ。行くの嫌だったけど、呼ばれたからには行かないとで。渋々席に向かったんだ」
「うんうん」俺はいつの間にか、タカシの話の続きが気になってきていた。
「俺が席に着いたらそいつ、大きな黒目を俺に向けてさ。低い声で『ドリンクバー』って。注文はそれだけで、すぐに人形に視線を戻すんだ」
「へえ…」
 ファミレスで注文がドリンクバー、飲み物のみという客は少なくない気はする。別に不思議ではないと思うが。
「女を見た途端、柄にもなく俺、ドキドキっていうか、緊張しちゃって。思わず人形に目を向けて、指差して聞いてみたんだ。『この子、お気に入りなんですか?』なんて」
「お、お前。そんな客によく話しかけられたな」
 思わず声が上擦る俺に、タカシは「いやぁ」と照れたように後頭部を掻く。
「実際のところ、気になるじゃん。日も出てない夜中の時間帯に、ゴスロリ美人と人形だぜ」
「気にはなるけど、関わりたくないって気持ちの方が強い」
「俺はそういうの、きちんと確認したい性格なの。…でもさ、返答は全く無関係の内容で。正直、ぞっとした」
「ぞっと?」
「俺がそう言った途端、首を勢いよくこっちに向けて、『この子、腕がもうもたないの』なんて。さらに、白くて細い腕で、俺の腕を掴んできてさ、『あなたの腕、綺麗ねえ』なんて、冷ややかに言うんだぜ。掴まれた時もう鳥肌もんで、すぐに厨房に戻ったよ」
「お前、それ…」
「でもその女、結局一時間程で店を出ていった。夜勤はおかしな客が多いけど、あの女はとびきり変だったわ」
「お前、その人形って、もしかして」
「待て待て。まだ続きがあるんだ」俺の言葉を遮る形で、タカシは続ける。
「その日は退勤時間が午前六時で、その後に俺は店を出たんだけど。外に、いたんだよ」
「いたって。その女が?」
 そう問うと、タカシは首を何度も縦に振る。
「体が固まるって、たとえじゃなくて本当にそうなるんだな。駐車場の端、俺の車の前あたりで仁王立ちのその女を見たら、ぴしりと体が動かなくなっちゃって」
「それで、お前はどうしたんだよ」
「『どうされたんですか?』って、とりあえず、牽制の意味もあって、まず俺から声をかけたんだよ。もしかしたらその女、自分の乗ってきた車の場所が分からなくなったのかもしれないしさ。…でも、なんか違ったみたいで」
「違った?」
「彼女、徐ろに包丁なんて取り出してきて。包丁だぜ、包丁。キッチン以外で見ることなんて、ドラマか映画を除けば普通は無いよなあ。それで、その包丁の切っ先を俺に向けてこう呟いた。『その腕、ちょうだい』って」
 彼の話によると、女はそのままタカシに向けて走ってきたという。俺は改めて彼を上から下まで見る。しかし特に、どこも怪我した様子はない。けろりとした表情をして、俺を見る。
「ん、どうした?」
「そいつ、マジでやばい奴だったんじゃん。よくお前、助かったな」
「ああ。まあな」
 そう言って、タカシは溜息をつく。「運が良かったんだ。その女、途中ですっ転んでさ。もう顔面からビターンって。コンクリの地面に直撃してよ。そのまま縛り上げて…危機は去ったんだ」
 その様子を想像して何だか気が抜けたが、なんたる幸運だったのだろうか。たとえ相手が女性だとしても、俺なら突然の状況に対応できず、為すすべなくやられていたかもしれない。
「まあともかく。助かったんだな。良かった」
「ああ。その時周りに人もいなかったし、大事にならなくて良かったよ。お陰ですぐ帰れたしさ」
「え。でもその後、警察の事情聴取とかあっただろ?」
 自分を殺そうとしてきた女を警察に突き出せば、恐らく警察に事の経緯やら何やらを説明しなくてはならないはずである。
 しかし、タカシは首をぎこちなく横に振った。
「あー、えっと、その。警察には言わなかったんだ」
「え?」
「だって…その女。俺好みの腕をしていたんだぜ。はじめ見た時、思わず緊張しちまったくらいの、良い腕で」
「へ?」
「俺、実は結構な腕フェチでさあ。綺麗な腕を見ると、その。欲しくなっちまうの」
「え、え」
「体臭はやっぱりきつかったけど。まあそれはそれで良いかなって。…っておい、どうしたんだよ。急に遠ざかって」
「お前…」
 無意識に表情が引きつる俺を見て、タカシは崩れた笑顔で何度か肯いた。
「ああ、なるほどな。大丈夫、お前の腕は好みじゃない、全然興味ないから。安心してろって。とにかくさあ。久々に良いものが手に入ったから良いけど、もうあんな危ない目は懲り懲りだよ。お前も気をつけろよ?世の中どんな人間がいるか、わかったもんじゃないしな」

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