世田谷美術館「魯山人、ルソー、ボーシャンほか」展へⅡ
世田谷美術館「魯山人、ルソー、ボーシャンほか」展について。前回、「北大路魯山人の器」部分までの感想を書く。
翌日、続きを書くつもりが、「回転性めまい」の症状が出たため、続きを書くことが先延ばしとなっていた次第。
会期は2月28日(日)まで。その前に、書いておきたい。
夫から事前に聞いていた企画展の感想は、「魯山人の器がとにかく良かった。その後の絵は、よく分からなかった。」であった。
魯山人の器と、その後の絵画とのつながりは、「セタビのコレクション」ということ以外には、正直、特にない、と思う。
ただ個人的には、日本の焼物も、国内外の絵画も好き。「ルソーも観られるんだ、楽しみ。」1回で2度楽しめる、とお得感(?)のようなものを感じながら、絵画の展示室へ。
52点の「素朴派」といわれる画家たちの絵画。
「素朴派(ナイーブ・アート)」とは。
正式な美術教育を受けたことのない作家によって制作され、独学ゆえにかえって素朴さや独創性が際立つ作品をさす。ナイーヴ・アートの作家は、独学で手法や構成を学び、ほかの職業で生計を立てながら、個人的な楽しみとして制作している場合がほとんどである。(中略)この動向は、20世紀初頭にピカソやルノアールをはじめとするパリの芸術家が、税関に勤めながら展覧会に出品していたアンリ・ルソーの絵画を評価したところから始まった。(artscapeより引用)
今回の展示、ルソー以外は、名前を聞いたことがない画家がほとんどだったのだけれど。
「素朴派」ならではの…と言ったらいいのか。とても惹きつけられることに、正直驚いた。
構図や遠近感や縮尺は、整っていなかったりする。それがかえって、力強かったり、魅力的に感じられる。それはどうしてか、と考えてみる。絵画の技法が発達する前の、「原始」に近いものを思い起こさせるから、かもしれない。
今回、印象的な作品はいくつもあったのだけれど、中でも絵が迫ってきたのは、唯一の日本人画家、久永強の「シベリアシリーズ」といわれる作品群。
久永強は、60歳で絵を描き始めたという。そしてあるとき、「シベリアが描きたい。その抑留生活を描いておかないと、しんだときシベリアで死んでいった戦友に合わせる顔がないのです」と話したという。(熊本日日新聞追悼記事より)
久永氏の絵と、絵に寄せられたコメントから迫ってくるシベリア抑留生活の、具体的で過酷な出来事の数々。
数日、生活のなかで、ふと絵の記憶が蘇ることが、たびたびあった。例えば、食卓にきのこがあると、「お化け茸」の絵と逸話を思い出したり。
平和であることのありがたさを、くっきりと、思い起こさせる絵画群であった。
1回で2度楽しめる世田谷美術館「魯山人、ルソー、ボーシャンほか」展は、来週2月28日(日)まで。
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