見出し画像

【完全版】多所属で無所属でいたい話

「知り合い、沢山いますよね……」

他人と会話をしていると、ちょくちょく言われることがある。

それなりに生きてきてはいるが、正直なところ、知り合いが多いわけではなく、友達多いアピールをしているわけでもない。

ただ、どこかのコミュニティに首を突っ込んでみたり、何かの縁かわからないけど、人との繋がりを大切にしている節がある。

小学生のとき、1クラス35人くらいだったと思う。とても小さなコミュニティの中でも派閥やグループは生まれる。
自分は、いつも居るグループとは違うところに、無意識に首を突っ込み、しれっと他のグループに出たり入ったりして、空気のように行き来していた。

「なんか、ずっとその場所に居てる雰囲気を醸し出してるよな……」と、

元々争うことや、戦うことが好きではなく、なんなら丸く治め続けて、楽しい気持ちで、他人と交流し続ける関係性をずっと考えていた。

教室というグループの関係性だけでは、満足したくなかったのだろう。

実は、自分が知らないだけで、もっと面白いものがあるのではないか。という考え方も無意識にあったのかもしれない。

20代前半の頃、mixiが全盛期だった。招待制だったこともあり、従兄弟から招待してもらい、登録だけしていた。コミュニティという独自の機能があり、自分が気になったら気軽に入れるものだった。「おもしろすぎるオフ会……」そんな名前だった気がする。

胡散くさいな。という感情も抱かずに、指定されている日程を確認して、参加表明をした。

「おもんないわ~」が、口癖だった。

休日が来るたびに、毎週のように高校時代の友人の家に集まり、家庭用ゲーム機で遊びながら、自分は変化を求めていた。そんなときである。

高校の友人経由で「一緒にビジネスをやらないか?」という連絡があった。

退屈だった週末に、「何か刺激があればいいだろう……」と思い、メッセージを返信した。

近所のファミレスにて、高校以来の友人たちが、そこにいた。

目の前にいる友人が、キラキラ目を輝かせながら、パンフレットにある健康食品の効果を説明していた。それだけでなく、お金を稼いで夢を語る姿を見て、「なんか面白そうだな……」と、

疑うこともせず、契約書にサインをしてしまったのである。

他人を紹介すればするほど、お金が増えるということで、携帯の電話帳にある小学校、中学校の知り合いにメールを送ったのだった。
連絡のつく人もいれば、そうでもない人もいたわけだが、成人式のときに、勢いで連絡を交換した自分が、積極的に連絡をしていた。

そして、一人。

成人式以来の友人と会うことになった。セミナーで学んだことを意識しながら、商品を説明して「一緒にビジネスをやらないか?」と。

「まあ、考えとくわな……」と肯定するわけでもなく、否定もしない表情をしていた。夜遅くだったこともあり、自宅まで友人の車で送ってもらうことになる。

「さっきのビジネスの話やけど、それマルチ商法やで。高校のときの知り合いに騙されてるぞ……」と、

その表情が、全てを悟っていた。久しぶりということで、何か目的があったのだろうと、また他の知り合いにも、同じような連絡はしているのか。と、全て包み隠さずに話した。

涙ながら「どうしたらいいのか……」と友人に解決策を求めた。

「子どもの最後の味方は両親だから、マルチ商法に引っかかったことを話そう」と、
友人が背中を押してくれたのだ。自宅玄関前でコトの経緯を話し、両親は呆れた顔をして、

次の日の朝。

地元の消費生活センターにて、クーリングオフをした。
そのまま、電話帳にある必要最低限の連絡先とともに、
全てをリセットした。

幼馴染が自分に注意をしなければ、今もなおマルチ商法を抜け出せずにいただろう。幼馴染には感謝しかなかった。

そんな経緯もあり、自分のバックグランドを知らない。フラットな状態で、気軽に遊べる友人が欲しかったのだ。

参加するたびに、参加者が変わる。はじめましての人もいれば、何度も参加をしている人もいた。それがアトラクションのように見えた。

「知らない人もいれば、知っている人もいる」

コミュニティが出来上がる新鮮さが、楽しかったのだと思う。何度も参加をしていると、

イベントスタッフにも名前を覚えてもらった。何度も参加するには理由があった。

分け隔てなく立ち振る舞うスタッフの対応が、心地よかったのだ。

反対に職場では、同じ部署にいる上司や同僚が、同じ目標に向かって仕事をしているのだが、それぞれの思惑があったのか、疲弊させられることが度々あった。お互いが、当事者と話したくなかったのか、自分に愚痴をこぼしていたこともあった。

否定はせずに、ただ受け止めることに特化していた。過度に人との距離感を詰めないようにしていた。
「相手に飲み込まれないように、自分を失わないように」と、そういったこともあり、楽しいと思える居場所を増やすことで、価値観や環境に捉われないことが、出来るのではないかと思ったのである。

何度もオフ会に参加をしていた。自分はいつの間にか、常連というカテゴリーに入っていた。

淀川の河川敷にて大規模なBBQをすることになった。
スタッフと仲良くなったこともあり、運営にまわって準備をしていた。
気がついたら、いつの間にかそこに居たという経験だった。

オフ会で出会った人と、仲良くなったこともあり、そのつながりから「よさこい」をはじめることになる。踊りが苦手だった自分が踊っている。仲良くなった人を知るためにはじめたことが、想像すらできないコミュニティに足を踏み入れていた。

それだけでは、足らなかったのか。

クリスマスになったら、サンタクロースの格好をして、サンタクロースを信じている子どもの家庭にプレゼントを渡す活動もしていた。

よさこいをやっていたとき、自分は大学生であった。ちょうど、クリスマスに近い時期ということで、チームメイトに「サンタクロースの格好をして、プレゼントを配ってくるねん」と、自分が様々なコミュニティに首を突っ込んでいたことに対して、あまり印象が良くなかったのか。

「芯がない」と言われることもあった。自分の中では、興味本位で嘘偽りなく答えたわけなのだが、側から見るとフラフラしている印象があったのかもしれない。

「長い時間を同じ場所で、共有することが全てではない」という言葉にするチカラがなかったため、ひたすら落ち込んだ。ちゃんとした答えをしっかり伝えられなかったのだ。

よさこいのときの自分、サンタクロースの自分、同じ自分なのだけど、どことなく一緒で何かが違っていた。コミュニティによって立ち位置が変わる。印象だってガラッと変わることが、多所属することで得た経験だった。

面白そうだと思ったら、足を運んで時間の許す限り、参加をしてみる。

期間も長くて数年、短くて半年以内ということもあり、考え方が染まりきらずに、中立的な目線で考える思考回路ができたように思う。

考えてみると、社会人から大学生になった経緯があり、4歳ほど離れた年下と接していた機会があった。

年上だから賢い。というわけではなく、自分よりも数十倍も頭の回転がはやく、何事も冷静に問題解決をする年下の存在が、沢山いた。

一個人としてリスペクトすることもあり、自分が想像しないようなフレッシュな感性に、触れられたのも大きい。

環境をガラッと変えたからこそ、他人とは違うキャリアを歩むことになったが、目の前の人に対して、フラットに相手の考えや思っていることをまずは聴く。という意識を持つようになった。

ここ数年でも、SNSを介して様々なコミュニティに足を踏み込んだ。

所属しているのだけど、心ここに在らず。気持ちが無所属だからこそ、いろんなところに参加できる。今まで考えもしなかったことを発見するたび、気持ちがワクワクするのであった。

10年前、思い切って社会人から大学生になったわけなのだが、自分の周りでも、社会人から大学院生になった。社会人大学生になった。という人を
以前より、お見かけするようになった。

世の中を大きく変えることは出来ないかもしれないけど、「自分を変えたい、学び直したい」という人は、今後どんどん増えていくと思うし、世の中の社会システムも良い方向に変化していくことを願っている。

オンラインサロンでのつながり、文章講座でのつながり、noteでのつながり。

今でも細々と、途切れず繋がっている関係性が、今の自分をつくる要素になっている。
人間関係に正解はない。

ただ、気持ちが前向きになれる場所が多いのであれば、そこは正解なのだと思う。


コンテンツをお読みいただきありがとうございます。 サポートのお金はライティング向上のための資金として使います。