ふみふみぼうず
赤土のまちから、緑のまちへ—多摩ニュータウン初期入居50周年に寄せて
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赤土のまちから、緑のまちへ—多摩ニュータウン初期入居50周年に寄せて

ふみふみぼうず

「50年」

その年月を、皆さんはどう思うだろうか。
長い?それとも短い?まだその年数を生きてない?私もそうだ。(27歳)
50年前は日本が高度経済成長を始めた頃である。

そんな ”近くも遠い” 50年前、あるニュータウンの入居が始まった。
皆さんご存じ、多摩ニュータウンである。

「赤土のまち」を切り開く━多摩ニュータウン黎明期。

第一次入居が開始されたのは1971年(昭和46年)3月26日、日本住宅公団(現在のUR都市機構)が早期より買収を進めていた「聖蹟桜ヶ丘地区」が多摩ニュータウン計画に編入された場所で、現在の永山団地諏訪団地である。
諏訪・永山地区の第一次入居に関して、こんな話がある。

「造成のまっただ中での入居だったため、団地のまわりは赤土がむき出しの地面で、舞い上がる土ぼこりの中での生活を余儀なくされた」
パルテノン多摩歴史ミュージアムより)

第一次入居から長くこの地区に住む住人は、このまちを ”赤土のまち” と呼ぶ。造成中の入居は「少しでも早く安く、計画的な良好な都市を大規模に提供する」という多摩ニュータウンの意義を実現するための措置であろうが、土ぼこり舞う中で通勤や通学をする住人は大変だったに違いない。

また、この地区は当時京王相模原線と小田急多摩線が開業する以前で、所謂陸の孤島であった。諏訪・永山地区の入居者は京王帝都電鉄バス(現在の京王バス)か神奈川中央交通で約2km先の聖蹟桜ヶ丘駅まで出る必要があった。最終的に多摩ニュータウン地区に鉄道が開通するのは1974年(小田急電鉄が6月に小田急永山駅まで開業、京王電鉄は同年10月開業)となる。
現在では京王・小田急共に40分少々あれば新宿駅につける利便性よいエリアとなったが、その実現のために行政・公団・鉄道会社のあいだで幾多の苦労があったことであろう。

「大規模で画一的な都市」から、「時間をかけて理想的な都市」へ。

1974年(昭和49年)のオイルショックにより高度経済成長は終焉を迎え、首都圏や関西圏で旺盛であった住宅需要は一度冷え込むことになる。

諏訪・永山地区の団地を歩くとよくわかるのだが、この地区は ”画一的な構造の団地が、ひたすら連なる街並み” である。これは前述の「少しでも早く安く、計画的な良好な都市を大規模に提供する」ためであるが、このような画一的な意匠の住宅はオイルショック以降販売不振となり、多摩ニュータウン自体の計画を転換していくことになる。

「大規模で画一的な都市」から、「時間をかけて理想的な都市」へ━

「理想的な都市」を実現するため、タウンハウス住宅や一般公募宅地分譲住宅など、多彩な住宅が供給され、街はより緑にあふれ、天国のような美しい街となっていった。

1980年以降は多摩センター地区や南大沢・堀之内など西部地区、稲城や若葉台まで開発が加速していくことになる。
これらの地区は多摩ニュータウンの方針転換後の街びらきであり、個性的な住宅群に歩車分離の進んだ導線、豊かな緑など、多摩ニュータウンの良さがより際立った街並みとなっている。(諏訪・永山も勿論素晴らしい!!!)

多摩ニュータウンに、住もう。

筆者はまさに、多摩ニュータウンで第一次入居がされた永山団地に住んでいる。もちろん団地が好きであることが大きな動機ではあったが、多摩ニュータウンの穏やかさ、緑豊かさ、街の成熟度に深く感銘を受け入居を決めた。

今現在の私は「変な若者」であろう。
しかし今後、UR都市機構では無印良品とのコラボレーションでリノベーションプロジェクトが行われていたり、テレビ番組で永山団地が取り上げられるなど、団地の活気が蘇る機運が高まっている。その狼煙は様々な場所であがっている。

「団地やニュータウンっておしゃれ」

そんな風潮が生まれることを願わずにはいられない。

「緑のまち」のいまとこれから。

美しく整備された緑豊かな街。初期入居から50年を経た今、街は成熟期に突入している。
赤土に覆われていた街は豊かな緑に覆われ、コンビニエンスストアなども充実し、「大規模で画一的な都市の一部」であった諏訪・永山地区は、「住みよい理想的な街」へ大きく成長している。若者の視点で地域の魅力を発信・実践する多摩市若者会議を筆頭に、多摩市・厚労省で~通いの場・永山モデル~が制定されるなど、高齢者を大切にしながら街を次世代につなぐ活動が活発化している。

一時期「限界ニュータウン」とメディアから揶揄された多摩ニュータウン全体の高齢化率は、令和2年10月1日現在25.2%となっており(東京都都市整備局資料より)、諏訪・永山地区の高齢化率も同程度である。令和2年の高齢化率全国平均が28.4%(内閣府高齢社会白書より)であることを鑑みると、決して高くない数字であることが伺える。
実際に諏訪・永山を歩くと、若い人や子供連れ家族の多さに驚かされる。後年に開発された南大沢や堀之内などは、さらにヤングでナウな雰囲気である。

諏訪・永山地区は街びらきから50年が経ち、今後住人の高齢化やインフラ設備の更新など、様々な課題があることは事実である。しかしこの美しい街は、今後さらに発展を遂げるポテンシャルを秘めている。永山や多摩センターで沢山の人が行き交っているのが何よりの証拠であろう。

今後の多摩ニュータウン発展の一部始終を、私は永山という ”美しい街” で見守っていきたい。
団地のグレーと桜のコントラストを愛し、彩度の強い夏空に心躍らせ、紅葉に癒されて寒い冬を越える。多摩ニュータウンでなら、そんな美しい四季を肌で感じることができる。

この街でなら、豊かな人生を過ごせる。そう思っている。


※文中で使用している写真の一部は、独立行政法人都市再生機構(UR都市機構)の寄贈で現在パルテノン多摩に所蔵されているものです。使用にご協力いただいた皆様、ありがとうございました。

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新感覚、ベレー帽男子。 Freelance designer / Writer / Photographer HP:https://www.fumifumibouzu.net/