コロナ患者とその家族の現実⑥(8/17容体急変)
前回の8月16日は、僕がPCR検査を受けたことと、妻の症状が悪化してきていることについて書きました。翌日の17日は、この日は今までの僕の人生の中で最も辛い日になります。
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この日、僕の検査結果の連絡は妻の時と同じように夕方連絡が来ると言うことだった。
それまでの僕の心境はこんな感じだった。
「いっそのこと自分も陽性であってほしい」
妻が高熱と咳に苦しめられている今、その看病も保健所とのやり取りも、家の中のことも、僕がやらなければいけなかった。
僕は妻の陽性がわかってからこれまで、自分が無症状でいられたことが奇跡だと思っていた。感染力の強いデルタ株に感染した妻と同じ家庭内で暮らしていたからだ。
僕にも感染していない方がおかしいと思っていた。
コロナ患者には、少ない割合で無症状の人もいると聞いていた。僕はその中の1人だと信じたかった。
自分まで、熱を出し寝込むことになったら夫婦共倒れ。妊婦の妻でも入院ができていないのに、僕ができるわけがない。
お腹の中の子どもはどうなるんだ。。
だから、この時の恐ろしさといったら言葉にできないほどのものがあった。
またしても、連絡が来るのは「夕方」だ。でも、18時になっても携帯電話は鳴らない。
しびれを切らしてこちらから診療所に電話した。
「陰性」という結果だった。
この結果には、動揺した。では、これから発症するかもしれないということか?今、まだ潜伏中でいつ発症してもおかしくないのではないか。
自分が陰性であることは本来喜ばしいことなのに、なんでこうなるのか。これが、コロナ患者の同居人が味わう恐ろしさということなのだろう。
今思えば、陽性でも結果として後遺症を恐れることになる。同じことだったのかもしれない。
この結果には、妻は喜んでくれた。そのことが一応のプラス材料ではあった。
その夜中、妻の容体が一変する。
別室で休んでいる妻。毎日のように聴こえてくる大きく乾いた咳の音は僕の精神と体力を消耗させている。
この日、またしてもひどい咳が聞こえてきて、水道の水でうがいをしている音がした。
その後だった。大きくドスンという音がした。僕は飛び起きて様子を見に行くと、妻が廊下の壁に肩をもたれかけていた。
今にも倒れそうな状況だった。すぐに体を支えてベッドに連れて行く。
ひどい鼻詰まりのため鼻呼吸ができないが、咳もひっきりなしに出てくるので口呼吸もできず、呼吸困難に陥ってしまったようだ。
酸素濃度は88という数字だ。
気が狂いそうになるほどの恐怖。そして逃げ出したい衝動に駆られる。生きた心地がしないとはこのことだ。
時計を見ると夜中の3時。
僕は、救急車を呼ぶしかできなかった。
8月18日の様子については、また次回書きたいと思います。お読みいただきありがとうございます。
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