なんでヨメに行かなきゃいけないの?【#2021年のおすすめエッセイ】

「この行かず後家がっ!家から出ていけっ」


同居している高齢の父に、凄い剣幕でなじられた。
決して仲は悪くない私たち。だが数年に一度、父はこうやってカンシャクをおこす。

…行かず後家ってさ。

『終身嫁せずして独身生活を営む女のことをいふ。嫁にゆかないで未亡人になつたといふ意味からいつたもの。』


隠語大辞典には、そう書かれている。
なんか凄い表現だな。
子なし、40オーバー、シングル。ついでに派遣社員の私。
いわゆる結婚適齢期に、母の介護と家事と仕事に明け暮れた。
どうやら親戚の間で、行き遅れの私は母を亡くし、ひとり残される高齢の父親を心配して嫁げない、健気な娘という評価になっているらしい。
おまけに立場が不安定な非正規雇用。将来、あの子はどうするつもりなんだと、心配されているという。

「お父さんを残して、結婚しないと言っているのならー」
と言いかける父親の言葉を半ば遮るカタチで、
「いや。私は己の私利私欲にしか興味ないから。お父さんの心配とか、したことないし」
と、いささか食い気味に言い放ったら、返ってきたのが冒頭の暴言だったというワケ。

心配されたくないけど、まったく気に掛けられないと、シャクに障るものらしい。
ちっ。めんどくさいクソ爺め。
私は心の中で毒づいて、読みかけの本を開いた。


氷室冴子・著『(新版)いっぱしの女』。


今は亡き少女小説家・氷室冴子が、30年前に刊行したエッセイが復刊したというので読んでいる。

かつてライトノベルなんて言葉がなかった時代。氷室冴子は少女小説界の大御所的存在で、私が正真正銘少女だった頃、著作を何冊も読み親しんできた。


じゃじゃ馬な平安時代のお姫さまが、御簾の中から飛び出して事件を解決するミステリー。

高知の高校を舞台に、東京から転校してきた美少女に振り回される青春小説などなど。


どの作品も、女の子たちが身近に存在しているかのようなリアリティのある作風で、当時、刊行された書籍はどれも大人気だったし、後にマンガやアニメ、ドラマ化もされた。

このエッセイでは、売れっ子作家だった氷室冴子が、30過ぎの独身女性であるが故に母親を含め他者に投げつけられた言葉の数々を、鋭いけどざっくばらんに掘り下げている。

率直に言って、母は結婚していない女性を、一人前と認めていない。
ただ独身であるというだけで、実の母に非難され続けているのだ。ー いっぱしの女なのに。

ここで言う、"いっぱしの女"とは、一人前になった大人の女性という意味。著者が友人男性に、この言葉を言われたことから、繰り返し使用される。

"いっぱしの女"であるはずの著者は、年配の既婚女性から「これだから結婚していない女は…」というマウンティングをされたり、失礼なことを言われて反論すると、男性に「更年期障害じゃないの」と無神経な嘲笑を受けたりする。
そういう"あるある"な出来事は、30年前のエッセイなのに、古臭さを感じさせず、なんだか今とあんまり変わらないなぁと思うのだった。

文筆業である彼女だからこそ切り返せたエピソードの数々が、小説の中のヒロインの姿に重なり、小気味いい。

エッセイの中では、著者の母親が、地元テレビの占いコーナーに、「娘は作家だが、30過ぎて結婚していない。どこかに良縁がないだろうか」と電話相談したという下りがある。
私は思った。
氷室冴子なんて、私みたいな非正規雇用の派遣社員と違って、超売れっ子作家だったんだから、結婚しててもしてなくても、もうどっちでもよくない?


これまで、
「なんで嫁に行かなきゃいけないの?」
という私のギモンに、誰も満足に答えられなかった。


私は、人様の結婚や出産にケチをつける気は、毛頭ない。だけど、希望してない私に強要されてもなぁと思う。
「普通は…」とか「一般的に…」なんて言葉は、私の心に1ミリも刺さらないのだ。

結婚したら幸せだとか、子どもを産んだら一人前だとか、未だにそんなファンタジーが、特に田舎とか年上世代に根強く存在している気がする。

私は仕事や家事の合間に、のびのびぐうたら、自分の自由に本を読んだり創作をしたいだけなのに。
将来が不安だからスキルを磨き、コツコツ稼いで資産形成し、親に金銭をせびったことなど、一度たりともなかった。
なんで人の顔色窺うことなく自由にしたい私に、旦那や子どもの世話をさせようとするんだろう。

結婚していない。
ただそれだけで、世間の常識からはずれていると見なされるのはなぜなんだろう。

「結婚しなくて、10年後とか、老後とか、どうするつもりだぁっ?」
父親がさらに問う。
あー、ハイハイ。その質問ね。聞き飽きたわー。

「明日、どうなるかもわからないのに、そんな先のこと、どーでもよくない?」
私が得意の言葉を言うと、父は黙り込んだ。
この手の言い争いを若い頃さんざん繰り返したおかげで、私は一蹴する方法を覚えてしまったのである。

それでも。
私だって、もう"いっぱしの女"のつもりなんだけどなぁ。
51歳で亡くなるまで結婚なさらなかった著者を偲びつつ、私はこっそりため息をつくのだった。

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