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黙って待ってたって、幸せなんてこない【#読書感想文】

「ずっと待っているのに、私の番がこないんです」

決して大声ではないのに、批判的な声が聞こえてきて、本を読んでいた私はヒヤッとなって顔を上げた。
自分が非難されたワケでもないのに、なぜかドキドキする。
その日、定期検診で病院にやってきた私。
受付をすませて、診察まで待合室で待機していた。

その病院は、事前予約を電話やwebで行う。
患者は予約で得た整理券番号の順番が来たら病院に出向き、受付を済ませるというシステムである。
受付の方に向かって、冒頭の言葉で訴えたその女子は、「かれこれ、もう4、50分は待っている」のだと主張した。

待合室には20人ほどの患者さん。
待ちくたびれたのかも知れないし、もしかしたら病院側で手違いがあったのかも知れない。
ひと昔前なら、森にいそうな女の子、"森ガール"と呼ばれるだろう、ふんわりした服装の女の子。
なんにしてもお気の毒に、という気持ちになった。

私だって予約したにも関わらず、かれこれ30分は待っている。せっかくのお休みなのにー。
でもそんな事情は皆、お互いさまだろう。

バッチリメイクのデキル系・受付嬢は、
「も、申し訳ありません!」と、慌ててカルテをチェックし始めた。
そこで「ん?」というように手が止まり、森ガール風女子に尋ねる。
「…受付はお済みですよね?」
「いいえ」
森ガールはキッパリと答えた。

…済んでないとぉ!?
私は思わず心の中でツッコんだ、博多弁で。
ただ居合わせただけの赤の他人だけどさ。
どうやらこの森ガール、事前予約して病院に来たものの、来たという意思表示をせず、黙ってずっーと待っていたらしい。


病院行ったら、まず受付にいくやろ。
とか、
事前予約した時に、受付で保険証等を受付に出すよう、指示されたやろ。
とか、
他の患者さん見よったら、自分も受付行かなって思わん?4、50分、何しよったとぉ?
とか、いろいろ思うところはあるのだけど。

森ガールは「はじめてなので」の一点張りであった。
「受付に来て申し出て下さらないと、来院されているかわかりません!」と、当たり前のことを受付嬢はこんこんと諭すのであった。

ふぅっ。
いろんな患者さんがいてタイヘンやねー。


私は読みかけの本に目を落とした。
太宰治・著『ヴィヨンの妻』。


昔、読んだかも知れないけれど、再読。

主人公は、とある詩人の妻。
旦那は、金は稼がないわ、いろんなところに女作って帰ってこないわの、飲んだくれの遊び人。
ふたりの間には子どもまでいるのに、あまりの貧乏に子どもの具合が悪くなっても病院にも連れて行けない有り様である。
魅力的だけどしょーもない旦那の不始末でいろいろあって、奥さんが料理屋で働き始めるというお話である。

あーぁ。
なんで、こーゆーどうしようもない男ってモテるんやろ。
カッコいいだけのダメ男ってわかっちゃいるのに、たまに優しかったり、口説き文句が上手かったり、あたしがいないとダメなのねーなんて思わせるから、ほっとけなくなるんだろうなぁ。

料理屋で働き始めてから、これまで慎ましやかだった貞淑な妻は変貌する。

ただ笑って、お客のみだらな冗談にこちらも調子を合せて、更にもっと下品な冗談を言いかえし、客から客へ滑り歩いてお酌して廻ってー


身なりを整えて料理屋で働けば、美人な奥さんはあっという間に店の人気者に。お客にちやほやされて、そもそも父親が屋台をやっていた関係で、客あしらいも手慣れたもんだし、旦那にも会える!ってんで、

「なぜ、はじめからこうしなかったのでしょうね。とっても私は幸福よ」

なんて、これまで旦那の帰りを黙って待つのみであった妻は言ってのけるのであった。

はー。動き出すと人生変わるねー。
人間も変わるけど。

そんな奥さんには、その後、旦那には言えない秘密の出来事が訪れるものの、それでもしたたかに生きていく。

黙って待ってるだけじゃ、自分の欲しいものは手に入らない。


さて。
本を読み終えたところで、ふと気づく。
件の森ガール。先ほど受付嬢に問診票を手渡されていた。
確か、
「書き終わったら、受付に提出して下さいね」
「はい!」
との会話が交わされていたはず。
それなのに…。
森ガールは、問診票を書くだけ書いて受付に提出しないまま、雑誌に読みふけっているのであった。

もうっ、どゆこと?
相手から働きかけられるまで受け身で、自分からは動かないってコト?
幸せはともかく、この森ガールに診察の順番が回ってくるのは、さらに遅くなりそうだ。

雑誌に夢中な彼女に、「問診票を出した方が…」と親切に言ってあげるべきか、私はそのまましばらく悩み続けるのであった。

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