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MORIYAMA──集団蜘蛛・森山安英インタビュー上映会

森山安英は1936年に北九州市八幡で生まれたアーティスト。60年代後半に活躍した前衛芸術運動「集団蜘蛛」の首謀者である。80年代後半からは絵画作品を発表し、97年には福岡市美術館で「集団蜘蛛の軌跡展」が催された。現在も北九州市で暮らし、当地のアーティストたちから絶大な信望を集めている。

この作品はアーティストの宮川敬一が、彼が主宰する小倉のオルタナティヴ・スペース「Gallery SOAP」に日頃から出入りしている森山に数度にわたって試みたインタビュー映像だ。森山のほかに、「集団蜘蛛」をはじめとする戦後の前衛芸術運動の研究者として知られる黒ダライ児と、美学校の創立者にして60年代の前衛芸術の目撃者でもあった今泉省彦が森山について語っているが、両者がともに森山に負けず劣らずキャラ立ちしているため、たんなる脇役以上の存在感を放っている。こうした三者三様の語り口に加えて、当時の記録写真や、ソウル兄弟によるノイジーなサウンドが重ね合わせられることで、ひじょうに魅力的な映像作品となっているのだ。

むろん、その魅力が森山の徹底してラディカルな活動に起因していることはまちがいない。ホームレスとして山中に3年あまり暮らしたこと、マッチ箱に自前のうんこを詰めて商店街で配布したゲリラプロジェクト、九州派のスター菊畑茂久馬の版画を署名以外そっくりそのまま剽窃した贋作作品、テレビ番組の生放送中に行なわれた剃髪ハプニング、交差点の中心での性交ハプニングなどなど、森山の武勇伝は数限りない。そうしたいわば変質者的な表現活動は、路上から異物を抹消し、街の隅々まで滅菌しようとしている現在の都市社会にとっては、たんなる排除の対象にすぎないのかもしれないし、おしゃれで小粋な東京の現代アートシーンにとっても、田舎の下品で土着的な戯れにしか見えないのかもしれない。

けれどもその一方で、森山的な魂が完全に死に絶えたというわけでもない。それは、必ずしも「はだかとうんこ」という原始的で肉体的な手段を取るわけではないし、現代美術という制度に依拠するわけでもないにせよ、現在においても脈々と受け継がれていることは確かである。たとえば、ここ最近高円寺近辺で盛り上がった騒動は、そうした地下水脈が噴出した事態として考えることができるだろう。東京都知事選挙における外山恒一の政見放送や杉並区議会議員選挙における松本哉による高円寺駅前の「街頭演説」は、森山的な悪意のある表現活動と通底しているところがあるように思われる。

森山らによる「集団蜘蛛」に一貫していたのは「否定の否定」(黒ダライ児)というラディカルな志向性であり、直接的に矛先を向けていたのは九州派をはじめとする当時の前衛芸術運動や左翼運動だったが、森山らはそのことによって前衛芸術の弁証法的な止揚や芸術と政治の有機的な統一を試みていたわけではまったくなかった。むしろそれは端的に悪意のある嫌がらせであり、悪戯であった。外山恒一の政見放送も当選を目的とした演説というより、なによりもまず公共の電波をじつに賢明なかたちで悪用したパフォーマンスであり、松本哉を中心とした「素人の乱」による高円寺駅前を占拠した一連の活動も、公認された街頭演説の名を借りて既成政党の醜い選挙活動を逆照する美しいライヴ・パフォーマンスだった。いずれの場合も、対話や議論による民主主義的な解決を目指していたわけではない。むしろ、そうした物分りの良い顔をしながら近づいてくる似非民主主義者の顔に向けてうんこを投げつけたりノイズを浴びせかけたりする暴力性こそ、「集団蜘蛛」や高円寺近辺の表現活動が内側に抱える熱の正体ではなかったか。

それは時としてみずからの表現を自滅に追い込むほどの熱量を持っているが、根源的に考えれば、そもそも「表現」とはそのようなものではなかったのだろうか。無菌室で培養されるような持続的で商品化可能な自己表現とは対照的に、一時的な現象にすぎないとしても、じっさいの暮らしの現場で敵対的な接触面を作り出し、そこに一瞬だけでもきらめきを輝かせること。この映像作品は、在りし日の前衛を偲ぶ回顧映画などではまったくなく、そうした輝きがインターローカルな場で今も継続して練り上げられつつある現在進行形の美学であることを、じつに鮮やかに照らし出していたのである。

初出:「artscape」2007年05月01日号


絵画の様式論(五)

#森山安英 #美術 #アート #映画 #レビュー #福住廉

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