ハーバード見聞録(20)

「ハーバード見聞録」のいわれ
 本稿は、自衛隊退官直後の2005年から07年までの間のハーバード大学アジアセンター上級客員研究員時代に書いたものである。


ピルグリム・ファーザーズ(5月30日の稿)

8月初旬、ボストン総領事館の高島副領事からメイフラワー号で有名なプリマス市近郊のゴルフ場であるアトランティク・カントリークラブに連れて行っていただいた。ゴルフ場の周辺には小湖水が散在し、無数のコテージが林の中のそこかしこにあり、夏休みでアメリカ人達が東海岸の多数の都市から避暑に来ているようだ。

高島氏と二人で、カートを引いてラウンドし、お昼ごろには18ホールを回り終えた。

ケンブリッジ市への帰途、アメリカ建国の始祖となったピルグリム・ファーザーズがメイフラワー号に乗って大西洋を渡り、1920年12月26日アメリカ大陸に初めて上陸した地として有名なプリマス市に案内していただいた。

プリマス市は海岸沿いの小さな港町で、町のたたずまいはアメリカのどこにでもあるような整然として緑豊かな美しい町だった。好天の中、港には無数の小船(主としてヨット)が浮かび、のどかな夏の海辺の風景が広がっていた。

その風景を見て三好達治の詩が頭の中に浮かんできた。
 
「蟻が蝶の羽を引いていく
        ああ、ヨットのようだ」
 
海は遠浅で、今年春まで勤務していた九州の有明海によく似ているし、沖に浮かぶ小島は、江ノ島にも似ている。

メイフラワー号の模型が桟橋に係留され、沢山の観光客が訪れている。ピルグリム・ファーザーズが上陸第一歩を印したとされる子牛の大きさほどの岩は鉄柵で囲われ、小さな入り江の波打ち際から少し小高い人工の砂浜の上に置かれていた。大勢の観光客が、自国の建国の始祖達が第一歩を印したとされる岩を感慨深げに見ていた。

因みに「第一歩を印す」と言えば、アポロ11号の月着陸の光景が思い出される。ニール・アームストロング船長が、月着陸第一歩を踏み出した際のコメントが有名だ。

「ヒューストン。こちら静かの基地。イーグル号は着陸した。(Huston, Tranquility Base here. The Eagle has landed.)」

「一人の人間(アームストロング)にとっては小さな第一歩だが、人類にとっては大きな飛躍だ。(That’s one small step for a man, one giant leap for mankind.)」

土地であれ研究領域であれ人跡未踏の領域に勇気を出して「第一歩を印す」というのは何時の場合も感動的だ。

アメリカ建国の第一歩となるピルグリム・ファーザーズの上陸は、高々400年足らずの昔だから、比較的事実関係が明瞭だ。その点日本の建国の経緯は3000年近くも遡るとされ、「神話」の領域に入るので、アメリカに比べればはるかに朦朧とした世界だ。

国の歴史が新しければ、人の来歴も分かり易い。ケネディもクリントンもブシュも少なくともアメリカに渡って来たご先祖まではほぼ明らかなようだ。

黒人にしても「ルーツ」を書いたアレックス・ヘイリーの例のように、アフリカ各地から奴隷船で運ばれて、このアメリカに第一歩を印したご先祖を辿るのは絶対に不可能ではなく、幾分可能性があると聞いたことがある。

その点日本人の場合は、大衆の殆どが御先祖は「どこの馬の骨」(失礼)か分からないほどあいまいな場合が多いのではなかろうか。

先日ボストン博物館に行った際、古代のエジプト、ギリシア、ローマなどの古い遺跡文化を驚くほど蒐集・展示していたが、見方によれば、自らの浅い歴史へのコンプレックスに由来する心理の然らしめることなのかもしれない。

プリマスに来て、メイフラワー号を見て、ふと私の胸の中に湧いた思いがある。もし(IF)という仮定の話である。「もし、『ピルグリム・ファーザーズ』がイギリス(人)から来たのではなく、日本(人)から来ていたら、アメリカはどんな国になり、どんな歴史を辿っていたのだろうか?」という問いだ。まともな「問」というよりも「妄想」と呼ぶ方が相応しいのかもしれない。

ピルグリム・ファーザーズ(巡礼始祖)になった102名のイギリス人はイギリス国教会の改革を唱えたプロテスタントの一派でピューリタンと呼ばれ市民改革の担い手だった。ピューリタンという名は清潔、潔白などを表すPurityに由来するといわれる。102名のピルグリム・ファーザーズのうち36名がピューリタンとしてイギリス国教会の迫害を受け、これを逃れる為に、1620年新天地を求めてプリマスにやってきたといわれる。

ピルグリム・ファーザーズが新大陸にやってきた1620年頃は、日本はどういう時代だったのだろうか。

  • 1579年:フランシスコ・ザビエルが日本にキリスト教を伝える(ピルグリム・ファーザーズの新大陸上陸(以下「上陸」とする)の約70年前)

  • 1587年:豊臣秀吉の禁教令(「上陸」の約30年前)

  • 1614年:徳川家康の禁教令(「上陸」の6年前)

  • 1637年:島原の乱(「上陸」の17年後)

このように、日本においては1549年のキリスト教の伝来以降、二度に亘り禁教令が出されキリスト教徒に対する弾圧・迫害が厳しくなる時期とほとんど期を一にしてピルグリム・ファーザーズは新大陸に渡ったのである。

日本からアメリカ大陸に渡るのは当時の航海術ではほぼ不可能であったろう。そこで、このような迫害にあって日本人のキリスト教徒達は「隠れ切支丹」として宗教を守ったほか、徳川幕府の目の届きにくい五島列島に逃れた者もいた。九州から海を渡って五島に逃れるのは、距離は違うもののピルグリム・ファーザーズと似た考え・行動ではなかったろうか。

もしこれらの迫害を受けた「隠れ切支丹」がピルグリム・ファーザーズと同じように太平洋を渡ってアメリカ西海岸に植民地を立ち上げていたらどうだったろうか。しかもその後から続々殖民が続いていたとしたら。(現実には太平洋の距離が長大で、当時の航海術で横断するのは不可能だったが)

私の頭の中で、妄想を試みた。

● 日本人の潜在的力量
イギリス人は、産業革命を成し遂げ、その後七つの海を支配し、パックス・ブリタニカを確立した実績を持つ。
 一方日本人は明治維新から100年も経たないうちに、列強の一角に伍するほどになり、米国と戦い敗戦を喫したが、戦後は灰塵の中から世界第2位の経済大国に成長した。
 日本人は立派にイギリス人の力量に匹敵する潜在力を持っていると見ることが出来る。

●どんな国になっただろうか
「隠れ切支丹」が主体となれば、意外にピューリタンに似た国造りをしたかもしれない。

●町の風景は、今のアメリカと同じだろうか
アメリカの風景は、イングランドと似ていて、牧場や畑が多いが、もし日本人が開拓したとすれば、矢張り水田が主体となり、少なくとも和洋折衷の北海道の風景に近いものになったかも知れない。

●言語は
今の米語と英語との違い、あるいはオーストラリア、カナダなどの英語が少しずつ異なるように、「隠れ切支丹」の出身地固有の九州の方言が主体で、今の日本の標準語とは相当異なる「日本語」が生まれていたのではあるまいか。

●風俗は
着物文化がどう変化を遂げただろうか。私の知識では分からない。ちょん髷が残っていれば、面白かったろう。刺青はピルグリム・ファーザーズが作った現在のアメリカでも流行しているから、もっと芸術的な刺青を持っていただろう。

●日米関係
第二次世界大戦は起こったろうか、原爆は投下されただろうか。同じ民族であれば、いずれも回避できたと思う。原爆はドイツに投下したかもしれない。

●インディアンとの共存は出来たか
 日本人は大陸からの渡来人を大切に受け入れた経緯があり、「和を尊ぶ」民族だからイギリス人よりも同じモンゴロイドのインディアンと親和的に共存できたかもしれない。
逆の見方もある。アイヌに対する過去の接し方から見て、日本人はそれ程他民族に親和的とも言えず、インディアンを迫害したかもしれない。

高島氏の運転で、私は居眠りをしながら、こんな妄想に耽っていた。
今年は「戦国自衛隊」というタイトルのフィクション映画がヒットしたが、いつの日か「隠れ切支丹がピルグリム・ファーザーズになっていたら」という壮大なフィクション小説が書けないだろうかと思う。

いずれにせよ、現実には、イギリスのピューリタンが主体となり社会契約説に基づく「メイフラワー誓約」を基本理念に、ピルグリム・ファーザーズがこのアメリカの建国の始祖となった。

アメリカはその後、次々に世界中から多民族・多文化を移民・難民として受け入れ、それぞれの長所を最大限に引き出し、国造りに励み、史上例を見ない超大国となった。

未来は「IF」という多様な可能性を有するが、歴史は唯一つしかない絶対的事実である。歴史の持つ事実は重い。

今日のアメリカの発展と世界に対し自由と民主主義を伝道しようとするひたむきな熱意を見る時、私もこのアメリカの建国の始祖であるピルグリム・ファーザーズに心からの敬意を表したい。

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