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先生と出会わなかったらどうなっていただろう。

大学のゼミの先生は授業後に学生を連れて酒を呑むのが好きだった。その酒の席で言った。

「これからはいろんな働き方ができる。僕らの時代にはできなかった、いい時代だよ。」

多様な働き方は今のキーワードだ。先日ふと思い出し先見の明に唸った。なにせもう17年の前のことなのだ。

当時の私に「これからはいい時代」という言葉は拍子抜けだった。そうですねとは言えず、そうなんですか、と言ったきり黙った。

ずっと時代は悪くなるのだと思っていた。

小学校の卒業式の直前にオウム真理教による地下鉄サリン事件が起きた。中学2年生の時に酒鬼薔薇聖斗事件。同い年の14歳の少年が小学生をハンマーでおそい、最後には頭部を学校の校門に置く事件。世紀末、若者の闇、人間らしさを失う、とメディアが騒いだ。経済状況も「失われた10年」といわれ不景気が続いた。

さらに高校の時はルーズソックスとコギャルが流行り、女子高校生の消費や流行り物をテレビも雑誌もこぞって取り上げた。私もルーズソックスを履きながら、ミニスカートの女子高校生をもてはやすなんて大人はバカなのかな〜と思った。

でも先生に出会って目を覚ました。「いい時代になる」といわれて、この人は何を見ているのか知りたくなったし、簡単に時代のせいにする思考回路がちょっと恥ずかしくなった。世界をどう捉えるかはその人次第なんだ。

世界の捉え方も教えてくれた。ゼミで最初の発表をした時、穏やかな口調で、つまらないね、と一蹴された。「感じたことは何なの?そこから考えて」と付けくわえられた。頭で考えたことをまとめて話すだけじゃダメなんだ、とびっくりした。これまではそれで通用していたから、静かに殴られたような衝撃だった。

先生は地方自治の学者だったがほとんど勉強は習わなかった。酒を呑みながら言っていることも、10分の一くらいしか理解できなかった。でも存在がインスピレーションをくれた。自分で考える態度とやり方。学生に対する向き合い方、そして生き方。先生は情熱があって自由だった。自分の考えがあった。でも時々損をして惨めっぽかった。その全てが生きている人っぽいと思った。そういう人は初めてだった。

ちなみに卒業して10年経ってから再会し「先生に救われました」と熱くお礼を伝えたら、それは僕とあなたの感性の相性の問題だ、とあっさりとした返事が返ってきた。いつも独特だった。

さて今。

2000年代になって20年たったけど、新しい時代というより、心理的にはより世紀末的ムードがただよっている。今や、日本がどうこう、というスケールを超えている。地球の環境の変化が身に迫る形で災害になっている。さらに社会の格差やネットでの攻撃や誹謗中傷も深刻そう。加えてコロナでは不確実性は高まるばかりだ。自殺者が増えているという報道もある。

そんな中で大人に移行していく若い子達はどんな思いでいるのだろうか。

もし万が一彼らに聞かれたとき、私はこれからの希望を答えられるだろうか。適当に、地球ヤバいよね、とか言わないだろうか。私は何を希望だと思っているのだろうか。

そして一人の大人の見立てがこれから生きる若い人を助けるかもしれないという熱さと慎重さを持っていられるだろうか。そうやって言葉を使えるだろうか。

素敵だった先生のことを思い出しながら問いかけている。

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