お茶を飲みなさいという教え
新人の頃に大先輩にもらった大切な言葉。
最初に勤めた職場で隣の席にいたSさんは、いわゆる万年平社員だった。あと2年で定年を控えていた。席は新人の私の隣だった。
例えば資料のファイリングを丁寧にやっていた。パンチで穴をあけて黒い紐を通して冊子を作ったり契約書を綴じたりする作業に時間をかけた。確かに美しい製本だった。
Sさんは新しいことにはわかりやすく抵抗を示した。仕事がふえそうな時は理屈をつけて嫌がった。同僚や上司が9時まで残業しようと5時半には帰った。「じゃあ失礼いたしますね。」そそくさと机の上を片付け黒い手帳を持ってロッカー室へ帰っていった。
カメラが趣味で休みの日は写真を撮りに行くのだそうだ。奥さんや子どもはいなかった。親と暮らしているらしい。
契約書を綴じるとか細かいことに時間をかけて、さえない人だなぁ。結婚もしないで、写真だけが趣味でぱっとしない人生の人だなあ。静かにそろそろで歩くSさんを内心バカにしていた。
ある時、イベントの準備で床に養生シートを張るため、出先で二人で作業していた。こういうとき、Sさんの仕事は綺麗だった。大きな養生シートをサイズを合わせてカッターで切って、四隅をきちんと合わせて、仕上がりもピンと張っていた。
隣で同じ作業をしていた私はどうにもバタついている。Sさんが大きな養生シートにあわせて的確に体の向きを変えていくのに、私はどうしたらいいのかわからなくて、まごついて気ばかりせいて無駄な動きが増えている。その様子を見てSさんは言った。
「中村さん、こういうときは、一つ作業を終えたら一呼吸おくんですよ。次から次へとやろうとするから慌てるでしょう。」
「一呼吸、、、。はい、わかりました。」
口角を上げて受けとめて、次の作業のために手を動かそうとしたら、
「ほらぁ、だから言ったでしょ。」と諭すように言われ、
「一つの作業を終えたらね、お茶でも飲むんです。一息ついて心を整えるんですよ。それから次に入ればいいんです。」
説教くささに内心嫌気がして、適当に返事をした。暇人だなぁ、私は職場に早く帰って仕事したいんだよ。
しかし、あれから数年たち、一つを終えたらお茶を飲みなさい、一呼吸いれなさい、という教えが、予想以上に心の中で大きく育っている。
お茶を飲むことは自分のための行為だ。お茶を入れたりカフェに行ったりして、その時間をつくるのは、誰に褒められる訳でもない、ただ己のためだ。
紅茶を飲んではぁと息を吐きながら、緊張していた心の中がほろほろとほどけてくる。紅茶の温かさとともに、こわばっていた部分が少しずつ緩む方向へとむかう。
あるいは、コーヒーで気持ちを高める。ごくりと飲む一口一口で、腹の中で次へのピントをあわせている。
お茶を飲むこと、その時間をとることは自分への励ましだ。そういう、自分を保つためのささやかな方法を知っていたSさんをバカにしていたなんて、幼かった。
それこそが人生を支えるものなのに。上手くいく時もいかない時も、自分が自分でいるために自分のためにするささやかな行為、そうでいようとする自負心を、他人が、やれちっぽけだ、無駄だ、なんて言うことは出来ない。
そして人はそれぞれに得意が違う。未知を突破する人、仲間を束ねる人、誰かを応援して支えていく人、混乱したところを穏やかに整える人。
私は時にブルドーザーと揶揄されるほど切り開いて進む感じを好むようだが、私の後ろが凸凹したらそこを整えていく人だって必要だ。
人には人の働きがあり、それは能力ややる気以前の、その人のエネルギーみたいなものだから、偽らずにいくのがよい。そして違う人と補いあうのがよい。
SさんにはSさんなりの働きがあった。そうでいるためにSさんは意識してお茶を飲み、立ち振る舞いを整えていた。仕事ってそういうところから信頼が始まる気がする。実際に、私も他の先輩に聞きにくい細かいことはSさんに聞いていた。いつも穏やかだから話しやすかった。
一つ仕事を終えたらお茶を飲みなさい。Sさんの教えは私の中に息づいている。黒髪で、笑うと眉が下がるお顔を思い出す。
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