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#193 カップヌードルしょうゆ味が食べたくなる投稿。

今日から何回かに分けて6月3日のことについて分けて投稿したいと思います。

6月3日、大学院で様々なことがありました。
多くの学びをインプットして、ものすごく刺激を受けました。

アウトプットし切れるか分かりませんが、エビングハウスの忘却曲線に沿ってこの刺激を忘れないよう(笑)、定期的にアウトプットしようと思います。


【カップヌードルしょうゆ味の話】

突然ですが、あなたにとって、カップヌードルしょうゆ味は何ですか?

ぼくにとってのカップヌードルしょうゆ味は、
滅多に買わないけど、スーパーで安くなってたらたまーに買うカップ麺の一つ。

チリトマト味としょうゆ味が並んでいたら、チリトマト味を選んでしまう。

もっというと、日清のカップヌードルは高いから、生協のカップヌードルもどきを買ってしまう…

みたいな感じです。笑



先日、ある福祉職員さんと話す中で、こんな話がありました。

ある日、施設で、様々なカップ麺を買ってきて、カップ麺大会を行なった。

施設利用者さんは大変喜んでくれたし、職員も一緒になって楽しんだ。

そんな中、ある利用者さんが、カップヌードルしょうゆ味がないと知ると、不穏になった。

他にたくさんのカップ麺があるにも関わらず、カップヌードルしょうゆ味以外はダメのようだ。

他のものが嫌いとか、しょうゆ味がとても好きだとか、そういうことではなく、その方にとっての選択肢は、一つだけだった。


つまり、その方にとって、カップ麺とは、カップヌードルしょうゆ味だけということがわかった。

恐らく、その方は日清のカップヌードルを食べたのが最後で、それ以降はカップ麺を食べていないから、他のものをカップ麺だと知らないのだろう。(日清のカップヌードルは日本で一番最初に生まれたカップ麺)

カップ麺大会を終えた後、職員とそのことについて色々と話をした。





上記の話を聞いた時、自分もしばらく色々と考えてしまいました。


「本人にとってのウェルビーイングとは?」


やはり、自分としては様々なカップ麺を手にとってもらいたいと思ってしまいます。

たとえ本人が、しょうゆ味しか選ばなかったとしても、何度もいろんなカップ麺を並べて、選択できる状況をつくるだろうなあと思う。

場合によっては、目の前で別のカップ麺を美味しそうに食べて、「ほらこっちも美味しいですよ」と別の選択肢もある、別の選択肢も悪くないかも、と知ってもらえるようなかかわりをすると思う。

それでもなお、しょうゆ味しか選ばなかったとしても。

手を替え品を替え、しょうゆ味以外の世界を知ってもらえるよう働きかけてしまうかもしれない。。。





そこまで考えて、

「これって本人のため?自分のエゴ?」

と自問してしまいました。


前提、自分の価値観が
「選択肢はないよりあった方がいい」
「その中で自分の意志で選べた方が豊かな生活、ウェルビーイングにつながる」
というものがあります。

一方
「選択肢はなくてもいい」
「不変に価値を置く、自分の中で不変のものが多い方が豊かな生活、ウェルビーイングにつながる」
という考え方も無きにしも非ずでしょう。






と、まあ悶々考えているうちにふと思ったことですが


「自分で選択してしょうゆ味を選んでいるんです」

というメッセージを受け取りたいのかも、と思いました。

これは自分の支援観・偏りかもしれません。


「本人の自己決定性があるかないか」


ここに物凄くこだわっている気がします。


利用者さんが、「選ばないこと」を選んでいる


ということが分かれば、自分は働きかけることをやめるのでしょう。








そんなことに思いを馳せながら。
明日のお昼はカップヌードルしょうゆ味を食べようと思います。

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